吉田橋

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
下柏尾村図(拡大元画像・絵図東海道中央左、柏尾川に架かる板橋が吉田橋になります。)

吉田橋
[柏尾川に架かる橋が吉田大橋である。かつては吉田橋あるいは高島橋とも呼ばれていたようで、長さ八間(約十四メートル)の大きな橋であった。ここは初代歌川広重が、保永(ほうえい)堂版(1833年 – 1834年)『東海道五拾三次』の「戸塚宿」(浮世絵”東海道五拾三次 戸塚・元町別道”)で描いた場所である。画中には「こめや」という茶屋の看板と、「左りかまくら道」と記された道標が見える。この道標が示すように、この地点は東海道と、柏尾川沿いに大船を経て鎌倉へ抜ける鎌倉道との分岐点であり、多くの人々で賑わったことがうかがわれる。なお、この浮世絵に見られる道標と伝えられているものが、現在も近くの妙秀寺(みょうしゅうじ)に保存されている。  (「東海道への誘い > 東海道を歩く~宿場案内~ > 戸塚宿」より)]

東海道五拾三次 戸塚・元町別道(wikipedia-photo)

『東海道五十三次細見圖㑹 戸塚』、「道中風俗 旅篭屋の留女」(Wikimedia Commons)

葛飾北斎『東海道五十三次』(東海道五十三次-葛飾北斎 画[他]-歴史画報社.pdf) – 戸塚宿

カメラ南西方向が吉田橋で、カメラ南南東方向が鎌倉道になります。

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