四ツ谷一里塚標柱

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
大庭村・辻堂村図(拡大元画像・絵図東海道右方向「字四ッ谷土橋」と記述され、その左の街道上下に「一里塚」と記述され、一里塚が描かれています。)

東海道の一里塚
[江戸からの里程 塚の通称 位置 備考
12里 – 藤沢、遊行寺坂 (神奈川県藤沢市西富一丁目)
●13里 – 辻堂、四ツ谷 (神奈川県藤沢市城南一丁目)
14里 – 茅ヶ崎 (神奈川県茅ヶ崎市元町6) 茅ヶ崎市史跡  (wikipedia・東海道の一里塚一覧より)]

四ツ谷一里塚
[遊行寺坂の一里塚については、藤沢宿の入口としてよく知られていますが、四ツ谷一里塚についてはあまりよく知られていません。跡地には、「一里塚跡」の柱があるだけで、説明の立札はありません。
◆10月27日(日)まで藤澤浮世絵館で「江の島を訪れたエトランジェ 描かれた異邦人」が開催されていました。その中で、オランダ使節に同行して見聞記『日本誌』を著した医師で植物学者のエンゲルベルト・ケンペルの「日本誌オランダ語第二版ファクシミリ版」と藤沢に関連する箇所の日本語訳、ケンペルの描いた挿絵などが展示されていました。
そこに、ケンペルの書いた東海道道中図とともに「日本誌」の中に四ツ谷についての記述がありました。
「四ツ谷という大きな村に達した」「四ツ谷の先一里にある藤沢で、われわれは昼食をする宿舎に立ち寄ったが。。。」
と書かれていて、この四ツ谷が藤沢の一里手前であったことが知られていたことがわかります。  (「藤沢市の一里塚跡(歴史散歩はいかがですか) – えのぽ」より)]

四ツ谷一里塚跡 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向に四ツ谷一里塚標柱があります。