四ツ谷立場跡・四ツ谷不動堂(田村通り大山道)

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
大庭村・辻堂村図(拡大元画像・絵図東海道右方向「大庭村」下に「字四ッ谷」と記述され、その下に「立場」と記述されています。この辻は大山道の追分になっています。)

四ツ谷立場
[江戸時代東海道藤沢宿から平塚宿までは三里半(約13・7Km)あり、この間に「四ツ谷」「牡丹餅」「南湖」「八幡」の4立場が設けられていました。立場は、宿場と宿場の間に開かれていたところから「間の宿」ともいわれ、茶屋などが並び、旅人や馬方たちが一時の休息をとりました。
 「四ツ谷立場」は現在の藤沢市内、「八幡立場」は平塚市内ですが、「牡丹餅立場」は小和田・菱沼村内、「南湖立場」は茅ヶ崎村内でした。  (「茅ヶ崎の轍(わだち) 第37回 道編 「東海道の七里役所」協力」より)]

四ツ谷不動堂
[延宝4年(1676)、大山道と東海道が交差する四ツ谷辻に、不動堂が建てられました。大山不動尊の下正面に「大山道」、両脇に「是より右大山みち」と刻まれています。不動尊の右手にある昭和34年(1959)に再建された大山の鳥居は、大山詣への参拝者が通った道です。  (「四ツ谷不動・大山の鳥居 | 観光スポット-辻堂駅周辺 – 藤沢市」より)]

田村通り大山道
[大山道の中で最も主要とされ、起点の藤沢四ツ谷に置かれた石造の「一の鳥居」は、万治4年に木造で設置された後、昭和35年に大改修され、鳥居の正面に天狗の面がかけられた。「御花講大山道」や「御花講道」とも呼ばれ、東海道と藤沢宿で接続し、藤沢宿を挟み対面の江の島道にも通じるため、最もにぎわいをみせた経路である。神奈川県道44号伊勢原藤沢線神奈川県道611号大山板戸線が近似したルートを辿っている。
経路:東海道藤沢宿四ツ谷(神奈川県藤沢市) – 一ノ宮(高座郡寒川町) – 田村の渡し(相模川) – 横内(平塚市) – 下谷(以降、伊勢原市) – 伊勢原 – 〆引 – 石倉 – 子易 – 大山
大山道(主要8道)

道標(2010年5月5日)-藤沢にある、田村通り大山道の起点となる道標。・wikipedia-photo  (wikipedia・大山道より)]

歌川広重画『東海道七 五十三次之内 藤沢 四ツ谷の立場(蔦屋版)』(wikipediaより)

[このシリーズは板元名から俗に蔦屋版東海道と呼ばれます。藤沢宿ではなく、立場(宿場と宿場の間にある休憩地)であった四ッ谷の風景を描いています。四ッ谷は東海道が大山道に分岐する地点(追分け)で、大山詣の人々で賑わっていたようです。左端に描かれている不動明王像を戴いた大山道標は現在も同地点に立っています。  (「東海道七 五十三次之内 藤沢 四ツ谷の立場(蔦屋版) 歌川 広重」より)]

葛飾北斎『東海道五十三次』(東海道五十三次-葛飾北斎 画[他]-歴史画報社.pdf) – 平塚

四ツ谷不動尊(田村通り大山道入口) – Google Map 画像リンク」「一の鳥居(大山阿夫利神社) – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向が大山道標を兼ねる四ツ谷不動堂で、右道路が田村通り大山道で鳥居があります。歌川広重画に描かれる四ツ谷立場はカメラ東方向の一帯になります。