大綱金刀比羅神社と神奈川一里塚

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
青木町図(拡大元画像・絵図東海道中央左に「一里塚」と「江戸から七里 京から百十三里」の神奈川一里塚が記述され、その上方向山頂に「飯綱社」と記述されています。また、左端街道上に大日堂が描かれています。)

大綱金刀比羅神社
[大綱金刀比羅神社は、横浜市神奈川区台町にある神社です。大綱金刀比羅神社は、江戸幕府関東郡代伊奈半十郎忠冶が現境内後方の山上に寛永19年(1642)創建したといいます(境内掲示では、文治年間1188年創建としています)。その後現在地(山下)へ遷座、勝軍飯綱権現と称していました。山の中腹にあった金毘羅社を合祀、大綱金刀比羅神社と改称しています。太平洋戦争終戦まで村社に列格していました。
大綱金刀比羅神社と一里塚
[この神社は、社伝によると平安時代末期の創立で、もと飯綱社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大綱金刀比羅神社となった。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入りする船乗り達から深く崇められ、大天狗の伝説でも知られている。また、江戸時代には、神社前の街道沿両脇に一里塚が置かれていた。この塚は、日本橋より7つ目に当たり、土盛りの上に樹が植えられた大きなものであった。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より)  (「猫のあしあと – 大綱金刀比羅神社」より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「神奈川総図」(5-35)、「神奈川総図其二」(5-36)
神奈川総図(拡大図)

[図会右ページに本覚寺、左ページ下に三宝寺、参道口右に地蔵、左に薬師堂、薬師堂左に一里塚、一里塚左に参道と金毘羅(大綱金刀比羅神社と神奈川一里塚)が描かれています。]

神奈川総図其二(拡大図)

[図会右ページ右上に「飯綱」「いなり」「子権現」と大綱金刀比羅神社地が描かれ、その下街道に番屋、左ページ下街道に「神奈川臺町」(神奈川宿(田中家))と記述され、その上方向に「こんひら」「天神」「いなり」と「清水山大日堂」エリアが描かれています。]

大綱金刀比羅神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が大綱金刀比羅神社参道です。

大綱金刀比羅神社拝殿前のカメラです。

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