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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
保戸ヶ谷宿図(拡大元画像・絵図東海道中央右、「字中橋板橋」右上方向に「大蓮寺」と記述されています。)
大蓮寺
[大蓮寺(だいれんじ)の創建は寛永2年(1625)。日蓮上人が 21 歳のとき、遊学の途中、帷子の里の一民家に泊まり、子どもたちの玩具の中に壊れた釈迦牟尼像を発見し、過ちを諭しました。家主は早速自宅を法華堂に改修し、その仏像を安置して朝夕 勤行 に勤めました。その法華堂が寺のはじまりです。山門の下に「日蓮大聖人帷子の里御霊跡」の記念碑が建てられています。また、本堂前には徳川家康の側室「おまんの方」お手植えといわれる、ざくろの木(2 代目)があります。なお、山門の脇の小道は、桜ケ丘を通って元町橋へ抜ける「古東海道」とも言われています。 (「ようこそ 歴史と自然の街 保土ケ谷へ。 – 横浜市」より)]
[「宗祖感得釋尊像安置
仁治3年(1242年)日蓮大聖人御年21才の時、房州清澄山より比叡山へ陸路御遊学の途次、東海道保土ヶ谷宿、浄土宗の一民家に御宿泊の砌り、家兒釋尊像を玩弄せるを見たまいて、その本末の誤れるを教示し、自ら開眼感得せられたる釋尊像を安置す。
建長5年(1253年)4月大聖人開宗の際、その家主大聖人に帰依し、己が邸宅を法華堂と改め、寛永2年正住院日圓上人の代に、御霊跡妙栄山大蓮寺と稱するに至りたるものなり、後、養珠夫人(おまんさま)帰依参詣の折、中老僧日法上人御眞作の宗祖木像及び境内に柘榴一株の寄進を受け、法運愈々隆昌に現在に至る。 昭和51年4月28日 御霊跡 大蓮寺」 (「Enjoy! YOKOHAMA -横浜ブログ- : 大蓮寺」より)]
カメラ西北西方向が大蓮寺山門です。