天徳院

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
保戸ヶ谷宿図(拡大元画像・絵図東海道左方向、「帷子町」上方向に「香象院」と記述されています。)

天徳院
[天徳院(てんとくいん)の創建は天正元年(1573)。本尊運慶作といわれている地蔵菩薩坐像です。本院は保土ケ谷の豪族小野筑後守が華林栄公和尚に帰依して建立したと伝えられています。開基小野筑後守の子息、2代目の墓があります。なお、明治維新前は神明社別当寺を兼務し、幕末文久年間(1861 ~ 64)には、神明社の前にあった満願寺と薬師堂を合併しました。  (「ようこそ 歴史と自然の街 保土ケ谷へ。 – 横浜市」より)]

[ 曹洞宗寺院の天徳院は、神戸山と号します。天正元(1573)年、小田原北条の家臣で保土ケ谷の豪族・小野筑後守が、華林栄公和尚に帰依して臨済宗の寺院を建立したと伝えられています。その後、小机雲松院九世明山宗鑑和尚が再興して、現在の曹洞宗改宗しました。なお、明治維新前は神明社の別当を兼務し、幕末、文久年間(1861~64年)には、神明社の前にあった満願寺と薬師堂を合併しました。本尊の地蔵菩薩坐像は、大きな厨子の内に安置され、胎内には高さ6cm程の運慶作と称する地蔵尊を蔵しているそうで、この地蔵尊は、小野筑後守が出陣した際に、甲兜の裡に秘して守護仏として参戦したと伝えられているそうです。 (「Enjoy! YOKOHAMA -横浜ブログ- : 天徳院」より)]

天徳院 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が天徳院山門です。

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