師岡熊野神社

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
神奈川宿図(拡大元画像・絵図四つ切右上に、「金蔵院」その左に「熊野権現」と記述されています。)

師岡熊野神社
[師岡熊野神社(もろおかくまのじんじゃ)は、横浜市港北区にある神社である。旧社格郷社。横浜北部の総鎮守とされる。
神亀元年(724年)、僧・全寿が空から降って来た熊野大権現の神札を当地のの大木のうろに納め祀ったと伝えられる。
仁和元年(885年)7月に光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が下向し「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わって以来、宇多天皇醍醐天皇朱雀天皇村上天皇勅願所として社僧十七坊が附せられた。
明治元年(1868年)神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され明治3年県社に列格したが、氏子の陳情があって明治6年33ヶ村の郷社に列した。
●氏子地域33ヶ村:師岡、獅子ケ谷、駒岡、上末吉、下末吉、馬場、北寺尾、生麦、鶴見、東寺尾、西寺尾、東子安、西子安、白幡、東神奈川、西神奈川、六角橋、三枚橋、片倉、神大寺、羽沢、下菅田、岸根、鳥山、小机、篠原、菊名、大豆戸、 太尾、大曾根、樽、南綱島、北綱島
●奉務神社:綱島諏訪神社・太尾神社・大曽根八幡神社・樽町杉山神社・末吉神社・駒岡神明社・獅子ヶ谷上神明社・獅子ヶ谷下神明社・久末天照大神・野川神明社
社殿・境内
本殿は、権現造杮葺で、正徳2年(1712年)の創建。
境内地は約4,800坪(16,000㎡)。境内の樹林はアカガシを主体とした暖帯林の自然植生をよくとどめており、「師岡熊野神社の社叢林」として神奈川県指定天然記念物になっている。門前に弁財天を祀る「い」の池、裏山に神事に使う「の」の池があり、現在は埋められ大曽根第二公園となった「ち」の池と合わせて「いのち」の池と呼ばれていた。
サッカー神社
社紋は三足烏であり、熊野三山において信仰された八咫烏に由来するものと考えられる。三つ足烏は、日本サッカー協会のシンボルマークでもあるため、近年当社はサッカー神社としても親しまれ、サッカー日本代表の公式エンブレムのついた日本サッカー協会公認のお守りや絵馬が販売されている。
師岡熊野神社の鳥居 「秋篠宮眞子内親王殿下・Kさんのご婚約をお慶びもうしあげます」(横断幕)・wikipedia-photo

師岡熊野神社拝殿・wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、師岡熊野神社の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・師岡熊野神社より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「師岡熊野権現宮」(5-50)、「熊野権現山解説」(5-43)、「熊野権現山解説-2・右ページ3行目まで」(5-45)
師岡熊野権現宮(拡大図)

師岡熊野神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が師岡熊野神社参道です。

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