影向寺(薬師堂)

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影向寺(薬師堂)
[薬師堂(神奈川県指定重要文化財)は、白鳳時代以来の系譜を伝える影向寺の本堂です。奈良時代の堂宇基壇址(きだんし)の上に立ち、薬師堂の礎石(そせき)には円形造出(つくりだ)しのある奈良時代の礎石が三つ使用されています。また、最近の薬師堂修理によって、室町時代後期に建てられた薬師堂の古材が発見されました。それによると、中世の薬師堂は方5間(ほうごけん)の密教本堂の形式で、軸部(じくぶ)と組物(くみもの)に禅宗様(ぜんしゅうよう)の技法を大きく取り入れていることが判明しました。これは現在の薬師堂に共通する特徴です。
 銅板銘によると、薬師堂は元禄7年(1694)の建立で、棟梁(とうりょう)は清沢村(現・高津区千年)の木嶋長右衛門直政です。造営には一門の大工のほかに江戸の工匠も加わっています。長右衛門は上州(上野(こうずけ)国)の生まれで、江戸の大工であったといわれます。
 薬師堂の規模は方5間、屋根はもと寄棟造(よせむねづくり)・茅葺(かやぶき)で、正面1間に銅板瓦棒葺(かわらぼうふき)の向拝(ごはい)が付きます。最近の修理で、屋根を茅葺形の銅板葺に改修しました。平面は前面2間通りを外陣(げじん)、後方を内陣(ないじん)と両側の脇陣(わきじん)とする密教本堂の形式です。中世の薬師堂に比べると、正面中央の柱間を約1.6倍に拡張し、また、内陣を背面いっぱいに広げて方3間(ほうさんけん)とし、一面に格天井(ごうてんじょう)を張った、平明で近世的な内陣を造っています。
 内陣と脇陣の外廻りは壁により閉鎖的に造ります。特に内陣と外陣、脇陣の境を中敷居(なかじきい)と格子によって厳重に結界するのは中世以来の形式を伝えるもので、薬師堂の大きな特徴です。軸部(じくぶ)は内外陣の丸柱(まるばしら)の高さを揃え、禅宗様の出組斗栱(でぐみときょう)を詰組(つめぐみ)に配置して、各室の天井を同じ高さに張りますが、室により天井の形式を変えています。外陣の鏡天井の下に虹梁(こうりょう)を架けるのは近世的な技法で、両脇の虹梁に曲木を用いて趣向を変えています。内陣背面の須弥壇(しゅみだん)上に安置する宮殿(くうでん)は禅宗様を基調とした間口1間、奥行2間の厨子(ずし)で、元禄7年に造立されました。
 薬師堂の頭貫木鼻(かしらぬききはな)の絵様(えよう)や宮殿の透彫(すかしぼ)り彫刻に、当時の江戸風が認められます。  (「川崎市教育委員会:影向寺(薬師堂」より)]

変更 – 「川崎市教育委員会:影向寺薬師堂

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「稲毛薬師堂」(8-69)、「稲毛薬師堂解説-1・左ページ中ほどから」(8-66)、「稲毛薬師堂解説-2」(8-68)、「稲毛薬師堂解説-3」(8-70)
稲毛薬師堂(拡大図)

影向寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が影向寺山門です。