教安寺

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
小土呂図(拡大元画像・絵図の東海道中央「字小土呂石橋」右上に「教安寺」と記述されています。)

教安寺
[徳本上人は江戸時代中期の浄土宗の高僧。教安寺境内に2基の碑があり、塩浜にも大きな碑が残っている。徳本上人の教えは、浄土宗の教義である「南無阿弥陀仏」の六字名号を唱えれば極楽浄土にいけるというシンプルなもの。信者になって一日に何回唱えたかを自己申告すれば、その回数により様々な賞品(名号書)がもらえたという。中には六万回唱えた人もいたと伝えられている。現在川崎市内には江戸時代につくられた梵鐘は3つしか残っていない。そのうちの1つが教安寺の梵鐘で文政12年(1829)の鋳造で、大変貴重なものである。戦時中には多くの寺の梵鐘が武器の材料として集められ溶かされたが、教安寺の梵鐘は戦時中、市役所に保管されたことで難を逃れた。空襲などで電気が止まった時に備え、梵鐘をサイレンとして使おうとしたのである。■山門前左側に建っている石灯籠は、宿内安全、天下泰平を祈願して、川崎宿富士講の信者が天保11年(1840)に建立したもの。江戸時代後期、江戸で富士山に弥勒の浄土を求めた新興の庶民信仰の「富士講」が関東一円に広がった。富士講の有力な先達であった堀の内村出身の西川満翁が組織したタテカワ講によるものである。  (「かわさき区の宝物シート」による)]

教安寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が教安寺山門です。

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