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日本初のハム工場跡
日本人によるハム作りはじまりの地
[明治初期、日本で初めてハムの製造販売がこの地で始められました。当時、戸塚は鎌倉郡に属していたので「鎌倉ハム」として全国的に知られました。斎藤満平は英国人ウィリアム・カーチスの妻・加藤かねの協力で製法を学び、明治10年代、日本人として始めて、ハムの製造を始めました。写真のこの建物は、ハムの製造および冷蔵に使われていたものです。 (「保土ヶ谷宿 戸塚宿 – 国土交通省 関東地方整備局」より)]
[鎌倉ハム
鎌倉ハム(かまくらはむ)は食肉加工品であるハムのブランドの一つ。複数の業者が製造販売している。
1874年(明治7年)、イギリス人技師ウィリアム・カーティスが神奈川県鎌倉郡で畜産業を始め、横浜で外国人相手に販売を行う。1876年(明治10年)上柏尾村の戸塚街道に面した場所に観光ホテル「白馬亭」を開業。敷地内でハム・ソーセージや牛乳、バター、ケチャップなどの製造を行い、主に横浜居留地の外国人向けに販売した。この時点でカーティスは一切の製法を秘密にしており、日本人が工場へ立ち入ることを許さなかった。
1884年(明治17年)に起こった地震の際に工場が出火し、これを近隣住民が消火作業にあたったためその恩義に応えるべく、カーティスは益田直蔵らに製法を伝授。またカーティスの妻かねが奉公人時代に世話になっていた地元の名家・齋藤家の当主齋藤満平(「万三」説あり)にも製法を伝授した。
鎌倉郡発祥のハムなので「鎌倉ハム」と呼称するが、現在の鎌倉市域の発祥ではない。発祥地の現在の住居表示は横浜市戸塚区上柏尾町である。従って、観光地としての「鎌倉」の土産にはあたらず、また特産物でもない。だが名称から鎌倉の産品と見なされ「鎌倉」の土産や贈答品としても用いられている。
カーティスの製法伝授系統
●鎌倉ハム(名古屋市) – 齋藤系
●鎌倉ハム富岡商会(鎌倉市) – 大船駅駅弁製造販売の大船軒と同根
●鎌倉ハム 石井商会(横浜市南区) – 益田系
●鎌倉ハム村井商会(横浜市瀬谷区)
●鎌倉ハムクラウン商会(横浜市磯子区)-発色剤などの添加物を混入しないハム・ソーセージが売り。
●鎌倉ハム鎌倉クラシコ(熊谷市)
●ゼストクック -鎌倉ハムマツダを吸収合併(瑞穂町) (wikipedia・鎌倉ハムより)]
カメラ南南西方向・レンガの建物が日本初のハム工場とされるものです。