旧中橋跡

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
保戸ヶ谷宿図(拡大元画像・絵図東海道中央右に「字中橋板橋」と記述されています。)

旧中橋跡
[歴史の道 旧中橋跡
今井川の改修
かつて今井川はここで宿場を横切っており、「中橋」が架けられていました。 その川筋は慶安元年(1648)に新しい保土ヶ谷宿が建設された際に人工的に造られたものでした。 しかし、その流路の構造から大雨のたびにここで水が滞り、しばしば下流域を浸水することになりましたが、 なかなか改善されませんでした。 しかしながら幕末にいたって人馬の往来が急増してきたため、 嘉永5年(1852)宿場では改修費用100両を準備するとともに、町役人が200両の借用を代官へ陳情し、 認められるとただちに現在の川筋に改修されました。
保土ヶ谷宿と品川台場建設
今井川改修で発生した多量の残土の処理に困った名主苅部清兵衛は、 当時建設中だった品川台場(外国の侵入に備えた砲台)の埋め立て用の土として江戸幕府へ献上することを申し出、 3000立坪(約18,000立方m)あまりの土を船で品川に運び、この問題を解決したと伝えられています。 (保土ヶ谷区役所) (保土ヶ谷区役所)  (「悠歩悠遊 – 保土ヶ谷宿」より)]

旧中橋跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向・道路角に歴史の道 旧中橋跡案内板が設置されています。

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