旧東海道権太坂入口

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
権太坂図(拡大元画像・絵図東海道中央に「字権太坂下石橋」と記述され、その左に「字権太坂」と記述されています。)

権太坂
[権太坂(ごんたざか、英: Gonta Slope)とは、神奈川県横浜市保土ケ谷区にある旧東海道の坂の名称、また保土ケ谷区にある町名の一つである。旧東海道を東京から西へ向かう際、最初の急勾配として知られる。権太坂(一番坂・二番坂)、焼餅坂、品濃坂と坂道が続き、旅の難所であった。
年始に行われる箱根駅伝では、旧東海道の権太坂は通らないが、付近の国道1号の坂を権太坂と称し、往路2区の難所として位置づけられている。
●1659年10月1日(万治2年8月15日):藤田権左衛門が鍬入れした日。代官藤原の指図により二番坂より下側を建設する。
●1660年(万治3年):完成
名称の由来
坂の改修工事を手がけた、藤田権左衛門の名から由来する。
●旅人(侍または大名)が、きつい坂を上り終えて休憩した際、近くに居た耳の遠い老人に坂の名前を尋ねたところ、自分の名前を聞かれたと思った老人が「権太」と答え、広まったという説もある。
旧東海道権太坂入口・wikipedia-photo、投込塚・wikipedia-photo、境木の国境・wikipedia-photo  (wikipedia・権太坂より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「科濃坂 権太坂とも云」(6-13)、「品野坂(権太坂)解説・画像中央」(6-14)
科濃坂 権太坂とも云(拡大図)

カメラ西方向が旧東海道で、入口右に旧東海道権太坂入口の案内板があります。

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