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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
生麦村図(拡大元画像・絵図上中央左に「東福寺」と記述されています。)
東福寺
[真言宗智山派寺院の東福寺は、子生山と号します。東福寺の創建年代は不詳ですが、東福寺二世本誉文覚が永正7年(1510)に入寂、第十世一智本覚が元亀2年(1571)に入寂といい、また過去帳にも明応3年(1494)前後の記録が残されていたことから1500年前後に創建したものと推定されます。東海三十三観音霊場14番、玉川八十八ヶ所霊場10番、東国八十八ヶ所14番、旧小机領三十三ヶ所10番、武相不動尊20番、浜七福神毘沙門天です。 (「猫のあしあと – 東福寺」より)]
[江戸から東海道を上って来ると、鶴見村と生麦村の境に『これより、こいけさんかんおんへみち』と書かれた石の道標が建っていました。ここから「観音道」で山すそを回って子生小観音堂へ参詣する畑中の道であったと思われます。絵図(江戸時代後期に出版された「江戸名所図会」に収められたもの)の山門手前の右側(八幡宮下あたり)に円形の松尾芭蕉の句碑が見えます。碑には、「観音の甍見やり花の雲」(芭蕉翁)と刻まれています。この句碑は文化10年(1813)生麦村の文化人武橘庵白紙(ぶきつあんはくし)が、神奈川宿、川崎宿や近郷の俳諧連中と建立したもので、桜の名所として有名であったことがしのばれます。現在、道標や句碑などは、仁王門手前の一角に集められ保存されています。参道をはさんで向い側には市指定銘木のクスノキが観音堂の長い歴史を物語るように立っています。 (「
第26章 生麦村の寺院 < なまむぎ今は昔 >より こいけさん 子生山 」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「子生山観音堂」(5-25)、「子安観世音解説-1(5-20)・左ページ左端から2行目から」、「子安観世音解説-2」(5-26)、「子安観世音解説-3・左ページ7行目まで」(5-27)
子生山観音堂(拡大図)
カメラ西北西方向が東福寺仁王門です。