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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
戸塚宿図(拡大元画像・絵図四つ切左下に「永勝寺」と記述されています。)
永勝寺
[永勝寺(えいしょうじ)は、神奈川県藤沢市にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は法谷山。
創建は真海が元禄4年(1691年)に開山。『皇国地誌』では、はじめ鎌倉にあったが各地を移転した後、真海が現在地に慶長年間(1596年 – 1615年)に移転し中興したのだとしている。
江戸時代の飯盛女の墓が小松屋の墓域に39基あるが、ほとんどが初代・小松屋源蔵の出身地である伊豆国小松村の出身者である。飯盛旅籠を開業したのは小松屋が2代目の時期で明治時代に入り廃業した。
永勝寺山門・wikipedia-photo
永勝寺本堂・wikipedia-photo
(wikipedia・永勝寺_(藤沢市)より)]
[旧東海道(国道467号線)から農協藤沢支所の手前を入っていくと、やがて永勝寺(浄土真宗)に着きます。創立は元禄四年(1691)、山門を入ってすぐ左の墓所に、旅籠屋を営んでいた小松屋源蔵の墓を囲むように39基の飯盛女(食売女・メシモリオンナ)の墓が、ひっそりと立ち並んでいます。天保六年(1835)当時、主に大鋸から遊行寺橋にかけて、27~28軒の飯盛女をかかえた飯盛旅籠屋がありました。飯盛女は、遊女に代わって出現した公認でないいわゆる私娼で、旅籠屋1軒につき2人までしか置けないことになっていました。なかにはそれを守らず数人の飯盛女を置いていたところもあったようで、実際には、全盛期で100人近い飯盛女が藤沢宿にいたとみられています。こうした女性たちの多くは、宿内や周辺の年貢課役に苦しむ農村、あるいは伊豆、遠江、駿河等の出身で、借金の返済などのために働いていたのですが、その扱いはひどいもので、小松屋のように墓を建てて葬るというのは大変珍しいことでした。 (「15-永勝寺 | ふじさわ宿交流館」より)]
カメラ南東方向が永勝寺山門です。
永勝寺本堂(Google Map 画像)
飯盛女の墓(Google Map 画像)