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白幡八幡神社
[源頼義が、奥羽二国の征討将軍として遠征の途についたのが康平元年(1058年)、平安時代の中頃でした。当時、奥羽二国は全く未開の土地で、殊に兇暴の聞えが高かった地方へ向って行くのですから、これほど危険なことはなく、大きな冒険でした。そこで崇敬の厚かった鎌倉八幡宮の御加護をいただくために「このたび使命を果すことができましたら、鎌倉から奥州へ行く街道10里(40km)ごとに八幡祠一社ずつを造ります」と誓いを立てて、当神社の地がちょうど第一次の里程になっていましたので、山上高く幣帛を捧げて祈願をこめました。
この誠心が神に通じ、無事使命を果して帰ることができましたので、康平4年(1061年)に当神社を奏祠したのです。
それからしばらくして戦乱が続いて国内の乱れとともに神社も荒れたままでしたが、源頼朝が鎌倉幕府を開いてから、祖先の事暦を調べて、建久3年(1192年)に当神社を再建し、源栄山八幡宮と称されるようになりました。
その頃、稲毛三郎重成が桝杉山に居をかまえてこの土地の領主となり、当神社は稲毛領五十七ケ村の総鎮守となりました。
現在、御社殿にかかっている額面に「稲毛惣社」としるされています。
本殿に鎮座されている御神像は、亨保12年(1727年)に奉彫されたものです。
明治6年郷社に列せられ、白幡大明神と称せられ現在に至っております。
なお現在の社殿は昭和48年10月に再建されました。 (「神奈川県神社庁/神社検索/白幡八幡大神」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「白幡八幡宮」(5-24)、「白幡八幡宮解説・左ページ」(5-20)
白幡八幡宮(拡大図)
カメラ北方向が白幡八幡神社参道です。
白幡八幡神社境内のカメラです。