神奈川台場跡

ストリートビューの初期設定位置は神奈川台場石碑と案内板前です。
地図上のアイコン上でマウスクリックし、アイコン移動すると、移動アイコン位置にストリートビューが存在すれば地図下のストリートビュー画面が、その位置のストリートビューに表示変更されます。また、ストリートビュー画面で移動すると地図上のアイコンも移動します。

神奈川台場
[神奈川台場(かながわだいば)は横浜市神奈川区にある、江戸時代末期に勝海舟により設計され伊予国松山藩が築造した台場。
東京湾に侵攻してきた船舶に対する防衛を目的として築造された施設。海岸から東京湾に突き出るように埋め立てられ、他の台場には見られない船溜まりという構造を持っていた。総面積は約2万6千平方メートルで、埋立には付近の権現山(神奈川区幸ヶ谷。現在の幸ヶ谷公園付近)の土砂が使われた。砲台を設置していたが実戦に使用されたことはなく、諸外国の貴賓が港に入った際に祝砲を上げていたという。施設廃止後の跡地は転用され、現在はJR貨物 東高島駅の敷地などとして利用されている。
敷地の転用や周辺の埋立が進んでおり、当時の面影を見つけることが難しい状態だが、遺構が一部残されている。
「わが町 かながわ とっておき」のルート8 歴史の道・ポートサイド地区のポイントに「神奈川台場跡」があり、案内板が設置されている。そこでは遺構の一部である石垣を見ることができる。船溜まりのあった場所には神奈川台場公園があり、石積みが復元され、説明板が設置されている。神奈川地区センターでは、当時の横浜宿付近を再現したジオラマが展示されており、神奈川台場の姿を確認できる。
また横浜開港150周年を契機として、コットンハーバー地区の「星野町公園」内で、遺構の石垣が公園内から見えるように整備が行われた。この公園内からは、一部横浜市中央卸売市場本場内に位地する台場の先端部分までを確認することができ、かなり広範囲に渡る遺構を確認することができる。
「日本海軍水路寮作成海図「武藏國横濱灣」の一部(明治7年(1874年)刊行)。中央やや上にある「Fort」と書かれた場所が神奈川台場。」・wikipedia-photo
付近にある石碑と案内板・wikipedia-photo

  (wikipedia・神奈川台場より)]

神奈川台場跡(台場公園) – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が神奈川台場跡の石碑と案内板です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*