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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
帷子町図(拡大元画像・絵図四つ切左上に、「神明」と記述されています。)
神明社
[神明社(しんめいしゃ)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区にある神社。横浜市内では最も由緒の古い神社の一つとされている。社有地は約2万m²(約6千坪)に及び、そのうち半分は風致保安林に指定されている。本社に天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀り、伊勢神宮同様、豊受大神宮(とようけたいじんぐう)(外宮)がある。
横浜市内のうち、旧武蔵国橘樹郡と相模国鎌倉郡には神明社が多くある。一帯を支配していた榛谷重朝をはじめとする畠山一族が所領安堵の為、積極的に伊勢神宮へ所領を寄進して伊勢神宮を勧請したため、とも考えられている。
以下は社伝による。
天禄元年(970年)、天照大御神が榛谷(はんがや)の峰に来臨し、その後、川井、二俣川、北保土ヶ谷宮林へ移転した。
嘉禄元年(1225年)、神戸(ごうど)に外宮を造営。榛谷御厨八郷の総鎮守となる。 –『神明社由来書』弘治元年(1555年)
鎌倉時代、榛谷重朝が支配していた当地一帯を伊勢神宮へ寄進していることから、当地が伊勢神宮の荘園(榛谷御厨)になって以降、産土神として存在していた当社に天照大御神を祀った、とも考えられる。北保土ヶ谷宮林とは、現在の霞台という説がある。
尚、この書に登場する「北保土ヶ谷」は、保土ヶ谷の地名の最も古い記録である。
●天正18年(1590年)、徳川家康により、社殿の造営が行われ、朱印地が与えられた。
●元和5年(1619年)、本社を当地へ移転、社殿の造営や境内の整備が行われた。
●明治6年(1873年)、村社に列せられ、後に神饌幣帛料供進神社に指定される。
●平成10年(1998年)、平成の大造営が行われ、移転以来の境内社殿12棟が一新される。
●平成12年(2000年)、神奈川県神社庁幣帛使参向神社に指定される。
神明社拝殿・wikipedia-photo
(wikipedia・神明社_(横浜市保土ケ谷区)より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「帷子里 神戸村 神明宮](6-11)、「帷子里解説・左ページ左端2行目より」(6-7)、「帷子川 程ヶ谷新町 神戸川 大神宮解説 大神宮解説・右ページ2行目まで」(6-14)
帷子里 神戸村 神明宮(拡大図)
[図会左ページに神明社、右ページ中央右に旧古町と橋が描かれています。]
カメラ西方向が神明社参道です。
神明社拝殿前のカメラです。