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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
保戸ヶ谷宿図(拡大元画像・絵図東海道左方向、「字水道石橋」交差道路下道が福聚寺参道で、「福寿寺」が福聚寺と思われます。)
福聚寺
[臨済宗建長寺派の福聚寺は無量山と号します。建武2(1335)年の創立で、当初は保土ヶ谷宿岩間町字路上(現・西区久保町)の山腹に在りました。建長寺第38世古先印元和尚がこの地を開拓し一庵を創建し、地名をとって岩間山として、古先和尚の別号福聚をとり寺号としました。応安7年1月24日(1374年)、示寂後に円融帝より特に正宗広智禅師の諡号を賜ったものの、その後百余年荒廃し、明応元(1492)年、2世法孫光庵和尚がこの地に来て伽藍を建立し、中興の偉業をなしました。この頃より福聚寺の名が世に知られる様になったので光庵和尚が中興開山とされました。光庵和尚示寂後、5世文山和尚が野毛浦に臨光寺を開創し、6世長庵和尚が岩井町54番地(現在地)に蓮求庵を創設しました。その後寛政年間(1789~1801年)に、福聚寺は蓮求庵跡(現在地)に移転再建されました。第16世月鑑和尚、寺門の復興を企画し、境内山林を開いて地域を拡大し、明治21(1888)年、新たに本堂・庫裡・山門を建立し、面目を一新して荘厳の観を呈するに至りました。歴史は670年以上ありますが、住職がいない時期があり現在の住職は22世です。
本尊は釈迦如来(木坐像)、脇仏が達磨大師と古先印元和尚(開山)です。本堂内には十六羅漢四天王、阿弥陀様(蓮求庵本尊)があります。境内には子育て地蔵、豊川稲荷、慈母観音があります。 (「Enjoy! YOKOHAMA -横浜ブログ- : 福聚寺」より)]
福聚寺参道前のストリートビューです。
福聚寺山門前のストリートビューです。
福聚寺本堂前のストリートビューです。