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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
小土呂図(拡大元画像・絵図下左に「成就院」と記述されています。)
聖無動寺成就院
[渡田にある成就院の創建は文明年間であるとされるが、境内から徳治2年(1307年)とある板碑が出土していることから、鎌倉時代に創建された可能性も考えられている。 (wikipedia・渡田より)]
[真言宗の寺。正式名称は明王山聖無動寺成就院。境内から弘安2年(1279)と徳治3年(1308)の板碑が出土していることから創建は鎌倉時代中期と推定されている。代々新田神社の別当寺を兼ね、また寺子屋も営み教育の道場としても地域の中心として貢献してきた。境内には板碑群をはじめ鎌倉時代の五輪塔や馬頭観音、六地蔵、子育て地蔵など多くの石仏がある。
山門前の庚申塔は享保8年(1723)の造立。合掌する六手の「青面金剛(しょうめんこんごう)像」と台座部には右から「みざる・きかざる・いわざる」の三猿が彫られ、また石工・石田屋丈助の名も刻まれている。丈助が居を構えたのは六郷の渡しのたもとの船場町。石材の運搬・荷揚げのための「石屋河岸」があったと伝えられる。江戸時代中期の石造物の多くは丈助の作品であった可能性が高いとみられている。 (「8-3 成就院(PDF形式, 1.13MB)」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「河崎新田社 無動寺 亘新左衛門墓」(5-12)、「新田山聖無動寺成就院解説-1」(5-14)、「新田山聖無動寺成就院解説-1・左ページ2行目まで」(5-15)
河崎新田社 無動寺 亘新左衛門墓(拡大図)
[右ページ右下に新田神社が、上に無動寺、左ページ中左に御霊権現 亘新左衛門墓が描かれている。]
カメラ北北西方向が聖無動寺成就院山門で、カメラ北北東方向に庚申塔がある。