遍照寺

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
保戸ヶ谷宿図(拡大元画像・絵図東海道中央右、「字中橋板橋」上方向に「遍照寺」と記述されています。)

遍照寺
[遍照寺(へんじょうじ)の創建は伝・貞観18年(876)。本尊薬師如来坐像は、京都仁和寺喜多院の本尊と同木、同作の尊像と伝えられており、仏向村にあったと言われる浅間宝寺の本尊でした。永禄天正年間(1558~92)の兵乱の折、寺が焼き討ちにあった際、本尊を帷子川に流しました。それを老僧が拾い上げ、寺の本尊としたと伝えられています。なお、この寺には、岡野新田の開発に尽力された岡野家の墓があります。  (「ようこそ 歴史と自然の街 保土ケ谷へ。 – 横浜市」より)]

[高野山真言宗の遍照寺は、医王山延壽院と号します。創建年代は不詳ですが貞観18(876)年開山とも伝えられ、僧賢海が寛永10(1633)年に当寺を再興したとされていて、僧賢海を中興開山とするといわれています。本尊の薬師如来坐像は、京都仁和寺喜多院の本尊と同木、同作の尊像と伝えられていて、仏向村にあったといわれる浅間寶寺の本尊でした。永録・天正年間(1558~92)の兵乱の折、寺が焼き討ちにあった際、本尊を帷子川に流しました。それを老僧が拾い上げ、当寺の本尊としたと伝えられています。1995(平成7)年11月1日に横浜市指定有形文化財(案内板画像リンク)となりました。  (「Enjoy! YOKOHAMA -横浜ブログ- : 遍照寺」より)]

遍照寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が遍照寺山門です。

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