金沢文庫

ストリートビューの初期設定位置は現在の神奈川県立金沢文庫前です。
地図上のアイコン上でマウスクリックし、アイコン移動すると、移動アイコン位置にストリートビューが存在すれば地図下のストリートビュー画面が、その位置のストリートビューに表示変更されます。また、ストリートビュー画面で移動すると地図上のアイコンも移動します。

金沢文庫
[金沢文庫(かねさわぶんこ、かなざわぶんこ)は、鎌倉時代中期に北条実時が設けた武家の文庫。金沢流北条氏の私設図書館。
所在地は神奈川県横浜市金沢区金沢町142。金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地である武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷に所在したことが名称の由来である。
成立時期は定かではないが、実時が晩年に金沢館で過ごした建治元年(1275年)ごろではないかと言われる。北条実時は明経道清原氏に漢籍訓読を学ぶ一方で嫡系の北条政村の影響で王朝文化にも親しんでいた文化人で、実時は鎌倉を中心に金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、収集した和漢の書を保管する書庫を金沢郷に創設。文庫は実時の蔵書を母体に拡充され、金沢貞顕六波羅探題に任じられ京都へ赴任すると、公家社会と接する必要もあり収集する文献の分野も広がり、貞顕は自らも写本を作成し「善本」の収集に努めた。また、貞顕は菩提寺の称名寺を修造しているが、貞顕が文庫の荒廃を嘆いていたとされる文書が残り、また貞時を金沢文庫創建者とする文書も見られることから、貞顕が文庫の再建を行っている可能性も指摘される。金沢氏を含め北条氏の滅亡後は、称名寺が管理を引き継いだが、当時の建築物は現存せず、発掘調査と当時の記録からその位置が推定されている。室町時代には上杉憲実が再興している。
北条氏の滅亡後、文庫は衰退し、蔵書も多くが後北条氏徳川家康前田綱紀らによって持ち出された。明治になって、伊藤博文らの尽力により文庫が復興され、旧蔵書の回収も進められた。
現在は「神奈川県立金沢文庫」の名称で県立の中世歴史博物館となっており、称名寺所有の国宝、重要文化財を含む資料を保管、展示している。
金澤文庫蔵書印・wikipedia-photo
現在の神奈川県立金沢文庫新館・wikipedia-photo

称名寺側入口・wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、金沢文庫の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・金沢文庫より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「金澤文庫之址」(6-35)、「金澤文庫址解説」(6-34)、「金澤文庫址解説-2」(6-36)
金澤文庫之址(拡大図)

神奈川県立金沢文庫 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が現在の神奈川県立金沢文庫です。

称名寺側入口のカメラで、カメラ東方向が称名寺庭園への隧道になります。