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首洗い井戸
[後醍醐天皇の第一皇子護良(もりなが)親王は武に優れ、征夷大将軍として父の建武新政権を支えました。ところが、南北朝動乱のさなか捕らえられ、建武二年(1335年)幽閉先の鎌倉二階堂(現在の鎌倉宮)で足利氏方の手によって暗殺されました。親王の首を奪い取った側近は、山の道なき道を伝い、皇子救出のため柏尾で待つ仲間のもとへ逃れる途中、この井戸で首を洗い清めたと伝えられています。
この付近の字名は「よつぐひ」といい、側近が鎌倉から山を四つ越えて逃走したルート「よつごえ」からきたという説と、親王の首を清める際、井戸に四本の杭を打ち祭壇としたためという説があります。
動乱の世でなければ、異郷の地で非業の死を遂げることもなかったであろう親王。その無念の霊は、近くの王子神社に祭られています。 (「横浜市 戸塚区役所 第2回(平成9年12月号掲載)」より)]
カメラ北西方向に首洗い井戸と碑があります。また、カメラ東方向柵向こうに「四つ杭」(地名)の由来碑があります。
カメラ西南西方向が「四つ杭」(地名)の由来碑です。