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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
鶴見村図(拡大元画像・絵図東海道右に「字横町立場」と記述されています。)
志からき茶屋
[享保年間(1716年~36年)に店を開き、土間に縁台を置いて竹の皮に包んだ梅干しと梅漬けの生姜を売っていた。 鶴見村の中で最も大きな茶店で『江戸名所図会』にも描かれた。 (「東海道:八丁畷・市場・鶴見・生麦・子安[街道 Now and Then]」より)]
鶴見の立場(志からき茶屋)
[鶴見付近の当時の街道の街並みは【東海道分間延絵図】の通りである。これによると川崎宿から30町(約3.27km)の鶴見村字横町、鶴見神社の傍に立場の記述がある。また、ロバート・フォーチュン「幕末日本探訪記」で神奈川宿から 川崎大師に向かう際、神奈川より6マイルの茶屋で休んだとある。その距離からすると 鶴見の立場となる。この記述から、鶴見にはそこそこ大きな茶屋が有った事が解る。【江戸名所図会】に志からき茶屋(信楽茶屋)の絵が有り、その記述は「生麦は河崎と神奈川の間の宿にて立場なり。此地しがらき屋といへる水茶屋は、享保年間廊を開きしより梅干をひさぎ梅漬の生姜を商う。往来の人ここに休はざるものなく今時の繁昌な々めならず。」とあり、生麦に大きな茶屋が有ったように記述されているが、他のホームぺージでも志からき茶屋は生麦ではなく鶴見に有ったとあるが、私もそうだと思う。 (「川崎宿」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「志からき茶屋」(5-22)
志からき茶屋(拡大図)
[上の挿絵には、生麦(なまむぎ)村で繁盛していたしがらき茶店が書かれています。
絵の中の説明には「生麦は、河崎と神奈川の間宿(あいだしゅく)にて、立場(たてば)なり。此地(このち)しがらきといへる水茶屋(茶などを提供し休息させる店)は亨保年間店を開きしより梅干をひさぎ(なりわいとし)梅漬の生姜を商ふ。往来の人ここに休(憩 いこ)はざるものなく、今時の繁盛ななめならず(はんぱない)」とあります。 (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之ニ 第五冊」より)]
カメラ北北西方向が鶴見神社参道で、この付近に鶴見の立場(志からき茶屋)があったようです。