ストリートビューの初期設定位置は松蔭寺参道前です。
地図上のアイコン上でマウスクリックし、アイコン移動すると、移動アイコン位置にストリートビューが存在すれば地図下のストリートビュー画面が、その位置のストリートビューに表示変更されます。また、ストリートビュー画面で移動すると地図上のアイコンも移動します。
松蔭寺
[松蔭寺は、鎌倉建長寺第30世勅諡佛壽樞翁妙環禪師が、隠居寺として正統庵と号して建武元年(1334)に創建したといいます。
■新編武蔵風土記稿による松蔭寺の縁起
(東寺尾村)松蔭寺
字向谷の内三角山と云所にあり、仙鶴山と號す、禅宗臨済派鎌倉建長寺末、開闢の来由を尋ぬるに建長寺第三十世佛壽禅師退隠の後、幽棲の地として此に庵を結び正統庵と號せり、今其時代に画し境内の圖あり古刹なること證すべしかの禅師は文和三年に寂せし人也、寺號を定しは中興開山僧廣山の時の事なるにや、此僧は延寳三年三月二十九日寂せり、寺號初は松音寺と書しが後に今の字に改めしなり、本堂南向にて七間半に六間、本尊釈迦の立像にして長二尺七寸なるを安ず、古器寳物等は多く火災の為に失ひしよしを云傳ふ、三十年程前に同じ除地の内東の方より今の所へ堂宇を移す、土人今其所を呼で本屋敷と云。
寺寳古圖一枚。
裏に正統菴領建武元□五□十二日とあり、其餘文字ありしと見ゆれど虫食て讀べからず。(新編武蔵風土記稿より) (「松蔭寺。横浜市鶴見区東寺尾にある臨済宗建長寺派寺院- 猫のあしあと」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「義高入道墓」(5-27)
青木明神社(拡大図)
[挿絵には里見義高(さとみよしたか)入道の墓が描かれています。
里見義高に関連する事柄について江戸名所図会では以下の様に書かれています。
「仙鶴山(せんかくざん)松隠寺(しょうおんじ 現在は松蔭寺) 東尾村にあり、云々」
「慈眼堂(じげんどう) 松隠寺より差し渡し一丁ばかり門を出て小さき坂を下り廻りて二町半ばかり丘の上にあり。本尊十一面観音。仏工春日の作なり。小机札所の一つにして松隠寺より兼帯せり」
「義高入道墓 仁王門の傍ら古墳の前に石の地蔵尊を安せし小堂あり。軒に義高入道と記せし・・・」 (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之ニ 第五冊」より)]
松蔭寺参道前のカメラです。