[甲州道中は、江戸の日本橋を出発点として、八王子、甲府を経て中山道と合流する下諏訪まで、宿数45、道程は約53里(208.5Km)の街道です。最初は、甲州海道と呼ばれていましたが、正徳6年(1716)海端の道ではないとの理由で、甲州道中と呼ばれるようになりました。明治時代になると道路の法令により国道に指定され、後に甲州街道と呼ばれるようになりました。
参勤交代のために通行した大名は、高島藩、高遠藩、飯田藩の3藩でした。公用通行では、他には、甲府勤番と八王子千人同心がよく利用していたようです。茶壷道中といって、宇治(京都府)の茶を江戸城に運ぶ行もみられました。
商品経済が発展してくると、商品の運送や庶民の人々のたびに使われるようになり、富士登山の富士講、身延参りの身延講の人たちや、手紙などを運ぶ飛脚などの姿がみられました。残された道中日記によると江戸時代の人々は、1 日にほぼ10里(約40km)を歩いていて、1 日目のとまり宿として、八王子宿が利用されていることが多かったよ
うです。江戸から下諏訪まで約 5 ~ 6 日間の旅でした。 (「甲州道中 – 八王子市図書館」より)]
掲載されている「甲州道中分間延絵図」は「東京国立博物館 画像検索」の「カテゴリー-歴史資料」の検索欄に「甲州道中」と記述して利用しています。
絵地図を右スクロールすると絵図中央付近に「駒木野宿」と記述され、その下に「小仏関」が描かれ、そこの右に駒木野橋、その右、及び関左が「駒木野宿」になります。絵地図左端の沢の右あたりが旅籠屋「ふぢや新兵衛」になると思います。そこの右方向に高尾天満宮及び参道が描かれています。旅籠屋「ふぢや新兵衛」は新井村になります。
[駒木野宿と小仏宿の間には、新井村、摺差(するさし)村があり、新井村には高尾天満宮参道口、旅籠屋「ふぢや新兵衛」があり、摺差(するさし)村には常林寺があります。 画像は「ファイル:Ino-zu-90-Musashi Shimousa Sagami.jpg – Wikipedia」より]
絵地図右スクロールした右端の沢右が旅籠屋「ふぢや新兵衛」、絵地図中央付近の左の沢が小下沢(こげさわ)になり、小下沢より左方向が小仏宿になり、宿場外れには「小仏」の地名の由来ともなった「小佛山 寶珠寺」があります。
地図左上の沢は美女谷(底沢)で、そこの左方向が小原宿になります。右スクロールすると千木良村と記述されています。
[千木良は1955年(昭和30年)1月1日に前身の津久井郡千木良村が内郷村・小原町・与瀬町と合併して津久井郡相模湖町となり、それ以降「千木良」は、相模湖町が2006年3月に相模原市に吸収合併されるまで同町の大字であった。 (wikipedia・千木良_(相模原市)より)]
右スクロールすると「小原宿」と記述されて、その下に宿場が描かれています。宿場右端の沢は現在「小原の郷」のある辺りで、その左側街道上に本陣が描かれています。絵地図左上に「与瀬宿」と記述され、その下、街道が M 型になっている左側に「与瀬宿」が描かれています。
右スクロールして、右端上に「与瀬宿」と記述され、その下左方向に「与瀬宿」が描かれています。宿左の角、街道上に本陣が描かれ、そこの左下に高札場が描かれています。またそこの左上方向に與瀬神社が描かれています。
葛飾北斎-北斎漫画 八編『甲州ニタ瀬越』(メトロポリタン美術館)
[北斎漫画 八編 甲州ニタ瀬越(こうしゅうふたせごし)
ニ瀬越は勝頼の渡と丹田前の渡の総称で、甲州街道沿いの日連村(ひづれむら)と与瀬宿・吉野宿(神奈川県相模原市)のニ宿を結ぶ桂川の渡であると考えられている。略画風の筆致で高台から川筋を遠望した図。本図は題名に「甲州」とあるが、甲州街道の宿場のうち、小仏峠より西の、小原・与瀬・吉野・関野の四宿は相模国に含まれる。1818年(文政元年)の作。 (wikipedia・葛飾北斎と甲斐国より)]
初期画面右上に「吉野宿」と記述され、その下に「吉野宿」が描かれ、宿場中央、街道上に本陣と記述されています。そこの左方向に沢井川が描かれ、小猿橋が描かれています。
初期設定画面は甲州古道の部分で、「甲州古道の歴史 – 相模原市観光協会」で、『この道は現在の段階では正確に確認できていない。三軒の茶屋が現在の水面近くにあった。 旧街道は川に沿って下っていくが、途中、獅子岩と呼ぶ巨大な奇岩が川を背にして座っている。この岩が市史に似ており、道中の馬が、驚いて、立ち止まって動かず困ったと言われている。さらに下がった右側に、高さ二丈有余(六M余)と言われる衣が滝と呼ばれる滝か流れ落ちている。滝の前の橋を渡り、桂川沿いに進むと三軒の茶屋があった。旅人はここで桂川の流れを眺めながら旅の疲れを癒し甲州に入って行った。』と記述され、沢に架かる橋左方向街道中に諏訪関所が描かれています。絵地図を右スクロールすると「関野宿」と記述され、宿場が描かれています。
絵地図を右スクロールすると「上野原宿」と記述され、その下に宿場、宿場中央上方向に御嶽神社が描かれています。
絵地図を右スクロールすると「鶴川宿」と記述され、その右上に 宿場が描かれ、その右鶴川に橋が描かれています。この橋は冬渇水期に架けられ、夏場は甲州街道の河川の中で唯一の徒歩渡しだった。また、宿場左端に本陣が描かれています。
絵地図を右スクロールすると「野田尻宿」と記述され、その上に 宿場が描かれ宿場左上に犬嶋神社が描かれています。
絵地図を右スクロールすると「犬目宿」と記述され、その上に宿場、さらにその上に犬目宿犬嶋神社が描かれています。
葛飾北斎-富嶽三十六景「甲州犬目峠」(wikipedia-photo)
[犬目地区は、旧甲州街道の犬目宿として栄え、葛飾北斎の富嶽三十六景のひとつに甲州街道犬目峠が描かれています。犬目地区遠見(とうみ)は地名の通り、富士山を遠く四方を見渡すことができ、天気良ければ、左右に裾野を引いた雄大な富士山が年間を通じて望めます。南の方向には、丹沢連邦が見え、展望が良い場所です。 (「【110】犬目地区内(遠見)(山梨県) | 地域づくり」より)]
[宝勝寺は、1618年頃に都留市下谷にある長生寺世瞻岳宗銀(せんがくそうぎん)大和尚を開祖として建立されました。旧甲州街道「犬目宿」のお寺として栄え現在の住職で20代になります。葛飾北斎の「富嶽三十六景」、歌川広重の「不二三十六景」などの富士はこの辺りから描かれたと言われています。高さ7mを超える一本堀の石像、慈母観音や本堂内にある木彫りの観音様(1m20㎝)が20体祀られています。夏には色々な種類のアジサイがとても綺麗に咲き、秋にはもみじでお寺全体が色鮮やかになります。甲斐八十八ヶ所の六番霊場、郡内三十三観音霊場の二十三番霊場、桃太郎伝説犬のお寺です。 (「宝勝寺【甲州桃太郎伝説犬目のお寺】」より)]
宝勝寺から見た富士山(Google Map 画像)