甲州道中分間延絵図(笹子峠-大武川)

掲載されている「甲州道中分間延絵図」は「東京国立博物館 画像検索」の「カテゴリー-歴史資料」の検索欄に「甲州道中」と記述して利用しています。

絵地図をスクロールすると中程に「駒飼宿」と記述され、その下に宿場が、宿場左の笹子沢川に板橋が描かれています。

絵地図をスクロールすると中程に「鶴瀬宿」と記述され、その下に宿場、鶴瀬関所が、宿場右の日川に板橋が描かれています。
  

絵地図初期画面右中央に「勝沼宿」と記述され、 その下に宿場が描かれています。宿場右に雀宮神宮、金比羅神社が描かれています。
  

絵地図をスクロールすると中過ぎに「栗原宿」と記述され、その下に小さな宿場が描かれていますが、絵図右端の桝形から、「歌田村」までが「栗原宿」になると思います。また、左方向「一町田中村」下に日川の渡渉が描かれています。

この絵図は「甲州道中分間延絵図に描かれた石和宿 – 笛吹市」よりのコピーです。
[絵図を東(右側)から西(左側)へ進むと、はじめに①石和宿入口、続いて②字仲町の境界、③高札場、その北に④御朱印地遠妙寺(ごしゅいんちおんみょうじ)、西に⑤問屋場があり、その前から南東に⑥鎌倉街道が延びています。さらに甲州道中を西進すると⑦字西町となり、北に⑧本陣と脇本陣、西に⑨高札場、その隣に⑩(石和)八幡宮の鳥居が描かれています。本陣前を南下すると⑪(石和)陣屋、⑫御朱印地観音寺、さらに南に⑬石和川が流れています。
 絵図の左端には⑭笛吹川が流れ、石和河岸(いさわかし= 船着場)と西側の(甲府市)川田村との間には、渡し舟が運行していました。川田村へは、冬場の渇水期は橋を渡って行き来しますが、増水する夏場は徒歩渡しや渡し舟を利用します。石和河岸からは、笛吹川を下って年貢米や物資を富士川の船着場に送る舟便も運行していました。
 また、甲州道中は江戸からの身延参詣の人たちが通う道としても利用されました。十返舎一九らの「甲州道中記」に、石和から富士川まで舟で下り、身延山に参詣する様子が記されています。]
葛飾北斎-富嶽三十六景『甲州伊沢暁』(wikipedia-photo)

[「甲州伊沢暁」(こうしゅういさわのあかつき)は、葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』全46図中の1図。
江戸時代後期の浮世絵師葛飾北斎による富士山を描いた富士図の連作で、天保2年(1831年)から天保4年(1833年)頃にかけて刊行された。全36図、追加10図のうち甲斐国の裏富士を描いた図は6図あり、「甲州伊沢暁」では甲州街道の宿場である石和宿(笛吹市石和町)から望んだ富士を描いている。
ほのぼのと明るくなった早朝の風景で、遠くに見える富士は闇をまとっている。宿内には出立する人馬の様子が描かれている。
位置関係から石和宿北方の大蔵経寺山からの眺望であると考えられており、画面右下に大蔵経寺山が見え、手前に甲州街道と石和宿、奥に鵜飼川(笛吹川)と鎌倉往還の板橋が見える。画面右端の続きには北斎も帰依していたと考えられている日蓮宗の寺院である遠妙寺(笛吹市石和町市部)が所在しているが、画面には描かれていない。
実際に石和宿からは御坂山地に遮られて富士を望むことはできないが古くから名所として知られ、石和宿は明和4年(1767年)の河村岷雪『百富士』においても描かれている。  (wikipedia・甲州伊沢暁より)]

葛飾北斎-北斎漫画 七編『甲斐の巴山』(メトロポリタン美術館)

[北斎漫画 七編 甲斐の巴山(かいのともえやま)
甲州街道沿いの酒折(甲府市)の風景が描かれている。巴山(伴部山)は酒折宮東方に位置する。酒折宮は多くの日記・絵画に記された名所であるのに対し、巴山を描いた作品は少ない。1817年(文化14年)作。  (wikipedia・葛飾北斎と甲斐国より)]

絵地図スクロールすると桝形が描かれています。そこから左の桝形(甲府柳町宿場通り)までが「甲府宿」になります。

絵地図スクロールすると「甲府柳町」と記述され、その上に「甲府柳町」通りが描かれています。
  

絵地図スクロールすると「韮崎宿」と記述され、その左上に宿場、宿場中央の街道上に本陣が描かれています。

  甲州道中分間延絵図(犬目宿石畳-笹子峠)  甲州道中分間延絵図(大武川-下諏訪宿)