甲州道中分間延絵図(布田五宿)

布田五宿(ふだごしゅく)は、かつての甲州街道にあった国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿の宿場東京都調布市に位置する。
通行大名が少なく、9軒の旅籠だけという小さな宿場で、本陣脇本陣は無かった。布多天神社は栄えていた。  (wikipedia・布田五宿より)
布田五宿は江戸日本橋から五里三十二町余と近く「間の宿」的色彩がつよかった。本陣や脇本陣はなく、旅籠9軒であった。
問屋業務も1ヶ月のうち1~6日が上石原宿、7~12日が下石原宿、13~18日が上布田宿、19~24日が下布田宿、25~晦日が国領宿が相勤めた。  (「布田五ヶ宿ふだごかしゅく(東京都調布市)」より)

「甲州道中分間延絵図」は東京国立博物館検索の「歴史資料」より「甲州道中分間延絵図」で検索して、文化3年(1806)完成の「甲州道中分間延絵図_9巻之内1」からコピーして使用しています。

絵地図初期設定画面に「下仙川村(調布市仙川町)」と記述、その右に「下仙川村八幡」(仙川八幡神社)が描かれ、そこの左下・甲州街道上に昌翁寺、そこの左の街道に仙川一里塚が描かれています。絵地図右下に烏山六所神社が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「給田村(世田谷区給田)」と記述されています。

絵地図初期設定画面に「金子村(調布市西つつじケ丘4丁目)」「深大寺村(東京都北多摩郡神代村/東京府北多摩郡神代村)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると「中仙川村(調布市西つつじケ丘2丁目)」「入間村(調布市東つつじケ丘)」「北野村(調布市若葉町)」と記述されています。「北野村」右の文字列は瀧坂道で、接続先街道左が瀧坂旧道・馬宿川口屋道標になります。また、「中仙川村」左下あたりが金龍寺になります。

絵地図初期設定画面左上に「国領宿(調布市国領町)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると「柴崎村(調布市菊野台)」「金子村(深大寺村と金子村などが合併し、神代村)」と記述されています。

絵地図初期設定画面左上に「下石原宿(調布市下石原)」、右下に「上布田宿(調布市小島町)」と記述され、絵地図中央に小島一里塚、その右上に布多天神社が描かれ、そこの下街道に高札場が描かれています。絵地図を右にスクロールすると「下布田宿(調布市布田町)」「国領宿」と記述されています。

絵地図初期設定画面に「上飛田給村(調布市飛田給)」「上石原村(調布市上石原)」と記述され、その下方向に上石原若宮八幡神社が描かれています。絵地図をスクロールすると「下石原宿(調布市下石原)」と記述され、そこの右下に下石原八幡神社が描かれています。

絵地図初期設定画面左下に「車返村」、その右に本願寺と記述され、右上に「下染屋村」(府中市白糸台・白糸台は江戸時代には上染屋村、下染屋村、車返村と称されており、車返村の古名を白糸村といいます。)と記述され、その左下に観音院が描かれています。絵地図をスクロールすると「上飛田給村」と記述され、そこの左下、街道下に飛田給薬師尊・行人塚が描かれています。

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