甲州道中分間延絵図(府中宿)

府中宿(ふちゅうしゅく)は、甲州街道の約7里半に位置する4つ目の宿場町であり、安永6年(1777年)飯盛旅籠が公許されたもの。国府や総社(大國魂神社)が存在する武蔵国の中心部であり、現在は、東京都府中市に位置し、現在でも府中市役所など主要施設はこの宿場の中心部近くにある。
鎌倉街道甲州街道(現在の旧甲州街道)が交わる交通の要所には高札場があり、その向かいが本陣となっていて、非常に栄えた宿場であった。
これら街道は、豊臣秀吉川越から、徳川家康平塚から府中へ鷹狩に訪れる街道であり、後には東西の甲州街道が幹線となったため、特に甲州街道に沿って六所明神(大國魂神社)を中心に発展した宿場である。
この宿場は府中三町「番場・本町・新宿(しんしゅく)」によって構成されていた。信州屋・近江屋・万屋・田中屋・鳶屋・松本屋・中屋・柏屋、六所宮・京所などが存在していた。
 ●本町 大部分が相州道に面しており、かつて府中宿の中心であった。
 ●番場 古くは茂右衛門宿。六所宮の西側
 ●新宿 甲州街道が確定してからの新しい宿で、古くは采女宿。
高札場(府中宿と八幡宿村が使用した)は珍しく現存しており、この界隈はかつて「札の辻」「鍵の辻」と呼ばれ親しまれている。高札場は交通事故を機に、交差点角から斜め向かいに時計回り45度回転移設、問屋場の蔵は再建されており酒屋として現在も営業し、現在も他に古い商店が残るなどかつての状態も残っているものであり、大國魂神社の例大祭では現代でも身動き出来ないほど賑わう場所である。  (wikipedia・府中宿より)

「甲州道中分間延絵図」は東京国立博物館検索の「歴史資料」より「甲州道中分間延絵図」で検索して、文化3年(1806)完成の「甲州道中分間延絵図_9巻之内1」からコピーして使用しています。

絵図初期設定画面に「是政村(府中市清水が丘)」「常久村(府中市若松町)」と記述され、「常久村」左下に常久八幡神社が描かれています。絵地図をスクロールすると「上染屋村」「車返村」(府中市白糸台・白糸台は江戸時代には上染屋村、下染屋村、車返村と称されており、車返村の古名を白糸村といいます。)と記述され、「上染屋村」左下に上染屋八幡神社が描かれています。

絵地図初期設定画面に「是政村」と記述され、その下方向に「是政村本地」と記述されています。
  
以下は「甲州道中分間延絵図_9巻之内2」からコピーして使用しています。

絵図初期設定画面上に「府中宿」と記述され、その下に大國魂神社、その左方向 T 字路左角に高札場が描かれています。絵地図右に「八幡宿」と記述され、右スクロールすると武蔵国府八幡宮が描かれています。

絵図初期設定画面に「本宿村(府中市本宿町)」「屋敷分村(府中市美好町)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると府中宿が描かれています。

絵図初期設定画面右に「四谷村(府中市四谷)」、絵地図を右にスクロールすると「本宿村」と記述されています。

絵地図をスクロールすると「上谷保村 下谷保村 入会(国立市谷保)」と記述され、絵地図右端手前、街道下に谷保天満宮が描かれています。

絵地図をスクロールすると「青柳村 石田新田 入会(国立市青柳)」と記述されています。

絵地図初期設定画面街道は日野宿側になります。絵地図をスクロールすると「柴崎村(立川市柴崎町)」と記述され、日野の渡しが描かれています。

  甲州道中分間延絵図(布田五宿)    甲州道中分間延絵図(日野宿)