甲州道中分間延絵図(日野宿)

宿場町として整備されたのは1605年(慶長10年)のことで、八王子宿を整備した大久保長安の手によって開かれている。甲州街道は幾度か経路の変遷があるが、1685年以降、日野橋の開通までは、日野の渡し多摩川を越え、東京都道149号立川日野線を南下し、新奥多摩街道入口信号で右折して東京都道256号八王子国立線を西進、日野駅前東交差点北側の日野不動産裏を左折して日野自動車手前で現甲州街道に合流する道筋だった。伝馬囲い五人五疋、多摩川の日野の渡し(渡船場)を管轄。
日野宿本陣跡には本陣としては東京都内で唯一遺された当時の建物(日野市日野本町)が建っている。その前の現在駐車場になっている辺りにあった長屋門を改装して佐藤彦五郎天然理心流の道場を開いた。この道場で剣術を教えていたのがのちの新選組局長近藤勇である。近藤と土方歳三沖田総司井上源三郎山南敬助ら新選組主要メンバーはここで出会った。この向かいに問屋場と高札場があったが、現在は石碑が建つのみである。  (wikipedia・日野宿より)

「甲州道中分間延絵図」は東京国立博物館検索の「歴史資料」より「甲州道中分間延絵図」で検索して、文化3年(1806)完成の「甲州道中分間延絵図_9巻之内2」からコピーして使用しています。

絵地図初期設定画面右、鍵の手角右下に日野八坂神社が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「日野宿」と記述、その上甲州街道の内に高札場が描かれています。

絵地図初期設定画面中央左に日野台一里塚が描かれています。

絵地図を右にスクロールすると「日野臺村 高倉野村 入会」(日野市日野台八王子市高倉町)と記述され、その上街道に高倉稲荷神社が描かれています。絵地図右端に日野台一里塚が描かれています。

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