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箱根温泉
[箱根温泉(はこねおんせん)は、神奈川県足柄下郡箱根町にある、温泉の総称である。旧相模国の時代から湧出してきた温泉群に加えて、新たに掘削などによって開発された温泉も含まれる。この結果、箱根火山の麓から中腹まで、温泉街が点在している。
開湯は738年(奈良時代の天平10年)とされ、釈浄定坊が発見した「惣湯」が湯元とされる。この源泉は現在も使用されている。
箱根温泉が知られるようになったのは、豊臣秀吉の小田原征伐がきっかけである。広大な小田原城を攻めるため、各地から武士を集め長期滞陣したが、その無聊を慰めるため温泉を利用したと言われている。
江戸時代には五街道の1つである東海道に沿った温泉として繁栄し、「箱根七湯」として知られた。この頃の箱根七湯は、湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯だった。開湯は古いものの、東海道から大きく外れていた姥子温泉は外された。ただし、これも加えて「箱根八湯」と呼ぶ場合もあった。徳川家光、徳川綱吉の時代には、将軍への献上湯も度々行われている。 (wikipedia・箱根温泉より)]
箱根温泉発祥の地碑
[神奈川県足柄下郡箱根町湯本、箱根湯本温泉に鎮座する熊野神社の参道に立つのが、箱根温泉発祥の地碑。天平10年(738年)、浄定坊(じょうじょうぼう)が発見したと伝えられる湯本温泉の最古の源泉、惣湯(そうゆ)が湧く場所で、熊野神社の北側には横穴式源泉跡(湯本8号源泉)が残されています。
湯本の白山神社(神仏習合時代の白山権現)は、湯本開湯の歴史を今に伝える社で、平安時代に熊野信仰が流布し、惣湯の熊野権現を祀ったとも推測できます。 (「箱根温泉発祥の地碑 – ニッポン旅マガジン」より)]
「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」 – 「箱根七湯 塔澤 5巻 53p」
カメラ西方向が熊野神社参道で参道階段右に箱根温泉発祥の地碑があり、その右上が湯本8号源泉になります。