『日本山海名産図会』 – 讃州海鼠捕(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 12p 」より)
[海鼠(ナマコ)漁は、沖での漁法は、網を船の舳(とも)に附けて走れば、自然に入ってくる。また、海岸近くの岩に着いている海鼠を獲るときには、「海鼡(いりこ)」の汁か、鯨の油をを水面に㸃滴(てんてき)すると、海面の塵埃が開いて、水中が透き通って、海底が鏡のように見えるようになる。そこを玉網ですくふ。 (「近世小豆島の海鼠(なまこ)漁 西日本一の品質を誇った …」より)]
『日本山海名産図会』 – 𤎅海鼡を製す(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 13p 」より)
[𤎅海鼡(いりこ)]
[①腹の中の三條の腹膓(はらわた)を取って、②空鍋に入れて、強火で煮ること一時間。鹹汁が出て、縮んで小さくなったものをまた煮ること一夜、④冷えてから糸につないだり、竹にさして乾かす。これを「串海鼡(くしこ)」と云う。⑤小豆島のものは他国のものと比べると大型で、味がいい。 (「近世小豆島の海鼠(なまこ)漁 西日本一の品質を誇った …」より)]
『日本山海名産図会』 – 越前海膽(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 15p 」より)
[海膽 – ウニ]
『日本山海名産図会』 – 豫洲長濱章魚(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 28p 」より)
[豫洲長濱(愛媛県大洲市長浜)のタコ漁]
『日本山海名産図会』 – 越中滑川之大鮹(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 30p 」より)
[寛政11年(1799)に発刊された『日本山海名産図会』巻四(以下『名産図会』)に、「越中滑川之大鮹」として挿絵つきで紹介されています。文章を要約すると、「滑川の大蛸は牛馬を取り喰い、漁舟を引っくり返して人を捕る。漁民にこれを捕える方法はない。そのため舟の中で寝たふりをして待てば、蛸が寄ってきて足を伸ばして舟に打ちかかってくるので、素早く鉈で足を切り落として急いで漕ぎ帰る。その危険なことは生死一瞬のことである。この大蛸の足を店の軒先に吊るすと、長いため地面に余る。また疣(吸盤)を一つ食べると一日の食事に足りる」という内容です。
絵の左上部で漁民が大蛸の足を切り落とす場面、左下部には軒先に吊るされた足を見た旅人と思しき人たちが驚いている姿が描かれています。この『名産図会』の著者は、文人・好事家・蒐集家などとして当時非常に名高かった大坂の木村兼葭堂〔きむら・けんかどう〕と推定されています。兼葭堂は本草学や博物学にも精通していたことに加え、交流範囲が非常に広い人物でした。この本は事物などの詳細な記述に加え、特徴をよくとらえた絵図から構成されており、現在でも高い評価がなされています。ただ、この大蛸の話については、描かれている町並みが北陸地方に多く見られた板葺き石置き屋根ではなく茅葺き屋根が描かれてあることから、実景ではなく噂話を元にしたのだろうと言われています。 (「所蔵資料紹介 Vol.2 滑川の大蛸」より)]
『日本山海名産図会』 – 高砂望潮魚(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 31p 」より)
[高砂(兵庫県高砂市)、望潮魚 – イイダコ]
[「日本山海図会」の巻之四に高砂望潮魚や明石章魚として紹介されています。江戸時代から現代に至るまでタコが名産であることがわかりますが、そのルーツは弥生時代まで遡ります。中期に加古川市溝之口遺跡や神戸市玉津田中遺跡など播磨灘沿岸の遺跡から出土しています。大中遺跡からも多くのイイダコ壺が出土しています。本荘蓮花寺構居跡からもイイダコ壺が出土しています。マダコ壺も玉津田中遺跡などで出土していますが、出土量・遺跡とも少なく、小野市・多可町など内陸部に広がっていることが特徴です。遺跡は「鹿の瀬」を挟む淡路島西浦と東播磨に多く、出土量も多くなっています。玉津田中遺跡と淡路市富島遺跡では延縄の状態で出土しています。タコ壺漁は平安時代で廃れ、江戸時代に復活し現代につながります。タコ壺は土製のものに加えて本荘貝(ウチムラサキ)製さらに陶器・ガラス・プラスチック製が加わります。近世以降は瀬戸内海と日本海・九州と江戸湾でタコ壺漁が行われていますが、貝製が主流です。タコとともに本荘貝は名が示す通り播磨町の特産で、本荘貝製タコ壺は播磨灘の特徴です。 (「播磨ふれあいの家だより」より)]
『日本山海名産図会』 – 備前水母(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 5巻 – 4p 」より)
[日本と中国では、一部の種類(エチゼンクラゲやビゼンクラゲなど)を食用にする。日本では、中世文書から武士の献立にもクラゲが記されている。文化としては、「クラゲ桶」といって、くらげを塩漬けにする桶があり、近世期の浮世草子『日本永代蔵』にも記述が見られる。「くらげ」の語源については、目がないように見えることから「暗気」に由来するとの説あるいは丸い入れ物「輪笥(くるげ)」に由来するとの説など諸説ある。「海月」や「水月」は海中あるいは水中の月のように見えるとの意味であるが、「水母」の由来についてはよくわかっていない。 (wikipedia・クラゲより)]