『日本山海名産図会』 – 伊勢鰒(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 4p 」より)
[鰒 – アワビ]
『日本山海名産図会』 – 長鮑製(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 8p 」より)
[ご祝儀などで使う袋をのし袋、贈答品にかける紙をのし紙といいますが、この「のし(熨斗)」というのは「のしアワビ」を略した言葉です。のしアワビとは、細長く剥いてのし(伸し)た干しアワビの事で、昔は吉事があると海産物を贈る習慣があり、特にアワビは高級品、縁起物として珍重されたんだそうです。この習慣が次第に簡略化され、生ものだったものが乾物をつけるようになり、現在はその名残として、印刷や紙で作った飾りのようになったのです。のし袋やのし紙の右上に付いてるものがそれで、この真ん中の黄色く細長いものが、のしアワビにあたります。これがあることで、「生ものを添えて贈ります」いう意味になるんだとか。そのため、海の幸など生ものを贈るときは重複してしまうために、のしは付けずに贈るんだそうです。 (「のし袋のノシってアワビのこと? – 食育大事典」より)]
『日本山海名産図会』 – 海鰕網(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 10p 」より)
[『日本山海名産図会』本文、海鰕( 3巻 – 9p )に「俗称「伊勢海鰕」と云。是れ、伊勢より京師へ送る故に云ふなり。又、鎌倉より江戶に送る故に、江戶にては「鎌倉鰕」と云う。又、志摩より尾張へ送る故に、尾張にては「志摩鰕」と云ふ。又、「伊勢鰕」の中に、五色なる物、有り。甚だ奇品なり。髭、白く、背は碧(あを)く、重(かさね)のところの幅(ふく)輪、綠色。其の他、黃・赤・黑、相ひ雜(ま)づ。」(「日本山海名産図会 第三巻 海鰕 – Blog鬼火~日々の迷走」より)と記述されています。]
『日本山海名産図会』 – 鰤追網(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 12p 」より)
[網漁法の一つ。入海(いりうみ)の口に大きな網を張りめぐらし、数十艘の船を並べて船棚(ふなだな)をたたき魚群を追い込み捕える方法。鰤(ブリ)漁に使用。 (「追網(おいあみ)とは? 意味や使い方 – コトバンク」より]
『日本山海名産図会』 – 鰤追網其二(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 13p 」より)
『日本山海名産図会』 – 鰤立網(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 15p 」より)
[建て網 (刺し網)
刺し網は、目標とする魚種が遊泳・通過する場所を遮断するように網を張り、その網目に魚の頭部を入り込ませる(これを網目に刺すという)ことによって漁獲するための漁具である。この刺し網を用いておこなう漁法を刺網漁という。 (wikipedia・刺し網より)]
[江戸時代の『山海名産図会』には、「丹後与謝のブリを上品とする」( 3巻 – 11p )とあり、丹後はブリの本場であったという。成長するにつれて呼び名が変わる、出世魚として縁起の良い魚。
1.関東 ワカシ(15cm)―イナダ(40cm)―ワラサ(60cm)―ブリ(100cm)
2.関西 ツバス ―ハマチ ―メジロ ―ブリ
3.能登 ツバイソ ―フクラギ ―ガンド ―ブリ (「ブリ – 日本の旬・魚のお話」より)]
『日本山海名産図会』 – 鮪冬網(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 17p 」より)
[筑前宗像・讃州平戶・五島に䋄する事、夥し。中にも平戶岩淸水(いわしみつ)の物を上品とす。凡、八月彼岸より取りはじめて、十月までのものを、「ひれなが」といふ。十月より冬の土用までに取るを、「黑」といひて、是れ、大(おほい)也。冬の土用より春の土用までに取るを、「はたら」といひて、纔か一尺二、三寸許りなる小魚にて、是れ、「黑鮪(くろしび)」の去年子(こ)なり。皆、肉は鰹に似て、色は甚だ赤し。味は鰹に不逮(およばず)。凡、一䋄に獲る物、多き時は、五、七萬にも及べり。 (「日本山海名産図会 第三巻 鮪(しび) – Blog鬼火~日々の迷走」より)]
『日本山海名産図会』 – 鰆流網(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 19p 」より)
[讃刕(さんしう・讃岐国)に流し網にて捕(とら)ふ。五月以後、十月以前に多し。大いなるもの、長さ、六、七尺にも及ふ。漁子(れふし)、魚の集まりたるを見て、數(す)十艘を連ねて、魚の後(あと)より、漕ぎまはり、追ふことの甚しければ、魚、漸(やうやう)勞れ、馮虛(ひやうきよ)として、醉ふがごとし。其時、先に進みたる船より、石を投けて、いよいよ驚かし、引きかへして迯げんとするの期(とき)を見さだめ、網をおろして、一尾も洩すことなし。是れを「大網」、又、「しぼる」とも云ふなり。さて、網をたくり、攩網(玉網・たまあみ)にて、すくひ取るなり。 (「日本山海名産図会 第三巻 鰆(さわら) – Blog鬼火~日々の迷走」より)]
『日本山海名産図会』 – 讃州榎股 鯛𢸍網之次第(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 23p 」より)
[是れ、延縄(はへなは)を以て、釣るなり。又、「せ縄」とも云。縄の大(おほ)さ、一据(にきり)許り、長さ一里許り。是に一尺許りの苧絲(おいと)に、針を附け、一尋一尋を隔てゝ、縄に列ね附けて、兩端に、樽の泛子(うけ)を括(くゝ)り、差頃(しはらく)ありて、かの泛子を目當に、引きあぐるに、百糸(ひやくし)百尾(ひゃくび)を得て、一も空(むな)しき物、なし。飼(ゑ)は鯵・鯖・鰕(ゑび)等なり。同しく淡乾(しほゝし)とするに、其味、亦、鰈(かれ)に勝る。○鱈(たら)を取るにも、此法を用ゆ也。ところにては、「まころ小鯛」と云ふ。 (「日本山海名産図会 第三巻 若狹小鯛・他州鯛網」より)]
『日本山海名産図会』 – 鯛五智網(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 24p 」より)
[網漁では一度に多くの魚介をとることができます。狙う魚によって網の目の大きさや仕掛けを変えて漁を行いました。
こちらは讃岐榎股(さぬきえまた。現香川県)での鯛五智網(ごちあみ)漁の様子です。春から夏にかけて海面直下を泳ぎ回って産卵する鯛の習性を利用し、ブリ(薄板に縄を何本もぶら下げたもの)を引きまわして鯛を集めて漁獲します。産卵期以外の時期の鯛は、岩礁地帯の深い場所で生息するため、地曳網で漁獲するのは困難でした。そのため、江戸時代以前から特殊な網が考案されていました。 (「本の万華鏡 第30回 天下タイ平~魚と人の江戸時代」より)]
『日本山海名産図会』 – 鯖釣舟(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 27p 」より)
[「漁火漁」は、字の通り漁火を用いて行われる漁のこと。ちなみに漁火と書いて「いさりび」と呼ぶのが一般的ですが、「ぎょか」と音読みすることもあります。漁火は漁師が魚を漁獲するために用いる明かりのことです。かつては松明などの炎が使われていましたが、今では照明機材を用いることが多くなっています。明かりを焚くことで魚を捕まえる方法には、実はほぼ逆と言っていい2つの方法が存在します。
ひとつは「光で魚を集める」こと。これは魚ではなくその餌であるプランクトンの性質を利用します。プランクトンには「走光性」といって、光を向けると集まってくる習性のあるものがあります。水面を照らすとそういったプランクトンが集まってくるのですが、すると今度はそれを食べる小魚が集まり、さらにそれを狙ってイカや大型魚が集まってきます。こうして、漁師たちは狙いの魚介を効率よく漁獲することができるのです。もうひとつは「光で魚を慌てさせる」こと。これは魚の性質を直接利用するものです。夜釣りなどをするとき、夜の水面をライトで照らすと、小魚がパニックになって泳ぎ回り、壁に激突したり浜に打ち上げられてしまうことがあります。これを利用し、予め設置した網や漁具に魚を追い込んだり、飛び出してきたものを捕獲することができます。 (「光で魚を捕る『漁火』の仕組み 「集める」か「慌てさせる」か?」より)]
『日本山海名産図会』 – 廣島 牡蠣畜養之法(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 3巻 – 29p 」より)
[『日本山海名産図会』本文「畜養」( 3巻 28 )の項
畜(やしな)ふ所、各(おのおの)城下より一里、或いは三里にも沖に及べり。干潮(ひしほ)の時、泻(かた)の砂上に、大竹を以つて垣(かき)を結ひ列ぬること、凡そ一里ばかり、号(なづ)けて「ひび」と云ふ。高さ一丈餘(よ)、長一丁許りを「一口(くち)」と定め、分限に任せて、其の數(かず)、幾口(いくくち)も畜(やしな)へり。垣の形は、「へ」の字の如く作り、三尺余(よ)の隙(ひま)を、所々に明けて、魚、其間に聚まるを、捕る也。「ひゞ」は潮の來(きた)る每に、小き牡蠣、又、海苔(のり)の付きて殘るを、二月より十月までの間は、時々、是れを、備中鍬(ひつちうくわ)にて搔き落とし、又、五間、或いは十間四方許り、高さ一丈許りの、同しく竹垣(たけかき)にて、結(ゆ)ひ𢌞したる籞(いけす)の如き物の内の、砂中、一尺ばかり、堀[やぶちゃん注:ママ。]り埋(うづ)み、畜(やしな)ふこと、三年にして、成熟とす。海苔は「廣島海苔」とて賞し、色々の貝もとりて、中(なか)にも「あさり貝」、多し。 (「日本山海名産図会 第三巻 牡蠣 – Blog鬼火~日々の迷走」より)]