『日本山海名産図会』 – 山椒魚(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 2巻 – 22p 」より)
[オオサンショウウオは繁殖期に川を遡上するとき以外はほとんど水中から出ることはないが、他の種類は陸上生活を送ることが多く、森林の落ち葉の下、モグラやネズミが掘った穴の中、川近くの石の下などに生息する。繁殖期以外はあまり人の目にはふれることはない。江戸時代初期、1643年(寛永20年)頃の『料理物語』にも食材としてサンショウウオの項があり、オオサンショウウオも含めて食料として用いられていた。実際に食した北大路魯山人によると、肉は硬いが長時間煮込む事でやわらかくなり、味はスッポンの肉の臭みを除いたようなもので非常に美味であるとしている。 (wikipedia・サンショウウオより)]
『日本山海名産図会』 – 山蛤(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 2巻 – 26p 」より)
[山蛤(やまかえる) – 赤蛙のこと。]
[アカガエルはその昔は、食用になっていたほどだから、どこにでもたくさんいた。身近なところではニホンアカガエルとヤマアカガエルが存在する。この2種は産卵期や産卵場所もほぼ同じだ。北海道と沖縄を除くほぼ日本中に分布している。まだまだ寒さの続く2月。里山の田んぼではこの寒さの中、動き出している生き物がいる。人けのない静かな田んぼで、耳をすましていると何やら鳴き声が聞こえてくる。アカガエルだ!
アカガエルは地域でズレはあるものの、まだ寒い春前に繁殖期を迎える。 (「「仁淀川いきものがたり」里山の神的存在アカガエル!仁淀ブルー通信」より)]
『日本山海名産図会』 – 鷹が峯 蘡薁虫(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 2巻 – 27p 」より)
[蘡薁(えびつる) – ブドウ科の落葉つる植物。葡萄と同じように実の房をつけ、秋とともに熟して黒くなり、食べられる。野ブドウのこと。]
[石灰 一名染灰(そめはい) 散灰(さんはい) 悪石(あせき)
今近江の物上品とす、美濃又是に等し。是金気なき地なれば也。元ハ和刕(大和国)芳野高原(よしのたかはら・吉野郡)に焼初て、其年月未詳といへども、本朝用ひきたること甚古し。桓武天皇大内裏御造営清涼殿御座の傍に、石灰壇を塗作らせたまひて、天子親四方拝などの土席(どせき)とす。其外、人用に益することもつとも多し。先億萬の舟楫(しゅうせつ)、億萬の垣墻(えんしょう)、凡水を載るの物、溝洫(こういき)器物に至るまで、是に寄ざれバ成らず。実に天下の至宝なり。諺に都なす処、百里の内外土中かならずこの石を生ずといへり。 (『日本山海名産図会』本文「 5巻 – 5p 」)]
[建築材料としては、古代エジプトで発明されたモルタル、近代建築に欠かせないコンクリート、また伝統的な日本家屋の白壁に使う漆喰の原材料でもある。粉体の石灰に水を練って混ぜ、再び乾燥させると空気中の炭酸ガスを吸収して固結し、耐水性や耐火性をもつようになる性質を利用している。日本では江戸時代後期、田畑に石灰を投入することにより収穫量が増加することが見いだされた。価格も当時流通していた金肥の数分の一と安価であり、肥料の一種として珍重されるようになった。当時、石灰の生産は、石灰岩の産出地周辺で原始的な石灰窯で盛んに製造されている。 (wikipedia・石灰より)]
『日本山海名産図会』 – 近江石灰(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 5巻 – 6p 」より)
[「近江石灰」と題する一枚目には,石灰岩が埋蔵する山中で,タガネやゲンノウなどを用いて石灰石を採掘し,ザルやモッコに入れて運び出す風景が描かれている。]
『日本山海名産図会』 – 美濃石灰櫓窯 近江石灰窯(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 5巻 – 8p 」より)
[もう一枚には右上に「美濃石灰櫓窯」,右下に「近江石灰窯」と書かれ,両地方で製造方法が異なっている。美濃石灰櫓窯は高さ3~4m 前後,直径1.5m 前後の筒状をした窯で,作業員が原料の石灰石や燃料の炭をザルに入れ,上部から投げ入れている。窯の下には直径50cm 前後の掻き出し口があり,生石灰が鍬で掻き出され,俵に詰め込まれている。一方,近江石灰窯の方についてみると,窯は直径が4~5m もあるが,高さは1m 前後にすぎず,全体として盥状になっている。窯の中には周囲から燃料の炭や原料の石灰石が投げ込まれ,指導者の指示に合わせて作業員が鍬で炭と石灰岩を掻き回している。これらのことから,生石灰の製造方法には,二種類あったことが分かる。 (「中世から近世における石灰の利用 – CORE」より)]