「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」に描かれる熊の捕獲

熊肉は古来より食用とされてきた。21世紀の現在でも大量には出回らない食材である。全身が食される。旨味が強いとされる。クマは全身を食用にでき、肉が少量であっても旨味が強い。汁ものには脂身のある部位のほうが良いスープが出る。脂身は融点が低く、甘みと旨味が強く、肉が少量であっても旨味がスープに溶け出し、野菜にも味がよく染み込む。寒い地方の熊は、その肉は脂肪部分が多いが、サラッとした脂が特徴だとしている。熊肉には身体を温める効果や、滋養効果が高いとされる。また、熊肉には美肌効果があるといわれるコラーゲンが含まれ、特に中華料理の高級食材である「熊掌」は豊富にコラーゲンが含有され、美容に効果があると珍重される。日本における熊料理としては伝統的な日本のジビエ料理として食されるほか、薬膳の材料としても用いられる。熊肉料理はツキノワグマやヒグマが生息する地域の料理でもあり、かつて、熊肉はその土地(地区)だけで消費されるもので、主な料理は煮物や熊汁である。  (wikipedia・熊肉より)

熊胆(ゆうたん)は、クマ由来の動物性の生薬のこと。熊の胆(くまのい)ともいう。古来より中国で用いられ、日本では飛鳥時代から利用されているとされ、材料は、クマの胆嚢(たんのう)であり、乾燥させて造られる。健胃効果や利胆作用など消化器系全般の薬として用いられる。苦みが強い。漢方薬の原料にもなる。「熊胆丸」(ゆうたんがん)、「熊胆圓」(ゆうたんえん:熊胆円、熊膽圓)がしられる。
古くからアイヌ民族の間でも珍重され、胆嚢を挟んで干す専用の道具(ニンケティェプ)がある。東北のマタギにも同様の道具がある。
熊胆の効能や用法は中国から日本に伝えられ、飛鳥時代から利用され始めたとされる熊の胆は、奈良時代には越中で「調」(税の一種)として収められてもいた。江戸時代になると処方薬として一般に広がり、東北の諸藩では熊胆の公定価格を定めたり、秋田藩では薬として販売することに力を入れていたという。熊胆は他の動物胆に比べ湿潤せず製薬(加工)しやすかったという。
熊胆配合薬は、鎌倉時代から明治期までに、「奇応丸」、「反魂丹」、「救命丸」、「六神丸」などと色々と作られていた(現代は、熊胆から処方を代えている場合がある。理由は後述)。また、富山では江戸時代から「富山の薬売り」が熊胆とその含有薬を売り歩いた。  (wikipedia・熊胆より)

『日本山海名産図会』 – 陸弩捕熊(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 2巻 – 39p 」より)

[弩 – ど、いしゆみ、おおゆみ]
[オシ(圧・圧機・機・押機・押)は獣を捕獲するのに圧死させてしまう猟具である。棒竿を格子状に組んで上に大きな石を載せたものや、大きな重い板状のものを支柱に立て掛け、下に餌を置いておき、熊などの獲物が餌を銜(くわ)えてひくと支柱が倒れて重量物によって圧しつぶされる仕掛けである。  (「ヤタガラスについて 其の二 – 古事記・日本書紀・万葉集を読む …」より)]

『日本山海名産図会』 – 捕洞中熊(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 2巻 – 40p 」より)

[熊は、必ず、大樹の洞(ほら)の中(うち)に住みて、よく眠る物なれば、丸木を、藤かづらにて、格子のごとく結ひたるを以つて、洞口(どうこう)を閉塞し、さて、木の枝を切りて、其の洞中へ多く入るれば、熊、其の枝を、引き入れ、引き入れて、洞中を埋(うつ)み、終に、おのれと、洞口にあらはるを待ちて、美濃の國にては、竹鎗、因幡に鎗(やり)、肥後には鐵鉋、北國にては「なたき」といへる薙刀(なきなた)のごとき物にて、或ひは切り、或ひは突きころす。何れも、月の輪の少し上を急所とす。  (「日本山海名産図会 第二巻 捕熊(くまをとる)」より)]

『日本山海名産図会』 – 以斧撃熊手(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 2巻 – 41p 」より)

[斧を以て熊の手を撃つ]