天神橋の立場・天満宮

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天神橋の立場・天満宮
[天神橋の立場 :所在地は、さいたま市北区宮原町2丁目(「天神橋」バス停そば)。
加茂神社から街道を165間(300m)ほど江戸方へ下った所には、菅原道真を祀る小さな祠が傍らに鎮座する石橋であったことから当時その名で呼ばれた「天神橋」があり、このあたりが加茂宮村の中心的集落であった。 ここには立場茶屋が置かれ、天神橋の立場(たてば)と呼ばれていた。 茶屋は島屋と福島屋の2軒が有名であったが、特に島屋は参勤交代時の加賀前田家の休憩所に使われた。 天神橋の立場は『中山道分間延絵図(なかせんどう ぶんけん のべ-えず)』に記され、大田南畝の『壬戌紀行(じんじゅつ きこう)』にも「左に社あり 人家あり 天神橋の立場といふ」 とある。 川は今日では暗渠(あんきょ)に変わっており、橋は石の欄干を断片的に残すのみとなっている。 また、橋の名はバス停留所にその名を留めている。
『木曾街道 上尾宿 加茂之社』(wikipedia-photo)
天保6- 8年(1835-1837年)、渓斎英泉

描かれたのは、実りの季節を迎えた神域と農民の働きぶり、そして旅路である。上尾宿と江戸方に一つ手前の宿場である大宮宿との間に位置する加茂神社と加茂宮村が舞台に選ばれた。秋祭りが近いであろう社には何本もの加茂大明神の奉納幟がはためいている。その中の一部に絵の版元「いせり(伊勢利)」の宣伝が見えるのは、絵師一流の洒落っ気である。社の前では男2人女2人の農民が唐箕を使って(もみ)の精選に励んでいる。その奥には立場茶屋(#天神橋の立場)があり、今しがた茶屋を発った侍と供の2人連れ、一服しようと立ち寄る商人1人が見える。もっとも、実際の立場は、近くはあっても神社と隣接していたわけではなかった。また、街道筋の境内前に出張って唐箕を使うなど、ずいぶんおかしな光景には違いない。つまり、絵師は3つの画題を一画面に詰め込んだのであり、絵画的工夫の結果としてこの図がある。  (wikipedia・上尾宿#天神橋の立場より)]

天神橋欄干 – Google Map 画像リンク」「天神社(宮原町〉 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向に天神橋跡の欄干があります。また、カメラ西北西方向塀右端にもあり、その先に天満宮があります。

カメラ西方向が天満宮です。