六十余州名所図会(南海道)

「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」に描かれる熊野石茸」にリンク

「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」に描かれる熊野蜂蜜」にリンク

『六十余州名所図会 紀伊 和か之浦』(wikipedia-photo)

[和歌浦は元々、若の浦と呼ばれていた。聖武天皇行幸の折に、お供をしていた山部赤人が『万葉集』巻六の919番歌に、
若浦爾 鹽滿來者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
(若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る)
と詠んでいる。「片男波」という地名は、この「潟をなみ」という句から生まれたとされる。また、『続日本紀』によれば、一帯は「弱浜」(わかのはま)と呼ばれていたが、聖武天皇が陽が射した景観の美しさから「明光浦」(あかのうら)と改めたとも記載されている。和歌浦には明光商店街があるが、これは続日本紀の明光浦の呼称にちなんでいるものである。
平安中期、高野山熊野の参詣が次第に盛んになると、その帰りに和歌浦に来遊することが多くなった。中でも玉津島は歌枕の地として知られるようになり、玉津島神社は詠歌上達の神として知られるようになっている。また、若の浦から和歌浦に改められたのもこの頃であり、由来には歌枕に関わる和歌を捩ったともいわれる。  (wikipedia・和歌浦より)]
[和歌に詠まれた「若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る」の山部赤人の歌に因み、広重は空に舞う鶴を描いています。(郵便局HPより)  (「諸国名所-8 紀伊 和哥之浦 | 風景印のある風景100選」より)]

三断橋と海禅院多宝塔のカメラです。

『六十余州名所図会 淡路 五色濱』(wikipedia-photo)

[淡路国(あわじのくに:兵庫県の一部)の淡路島西側の鳴門に近い砂浜は、五色の小石が観察されることから、五色浜と呼ばれる。図会は播磨灘において展開される漁業を描いているが、「山水奇観」を参考に描かれたとされる。各地の漁業は、大勢の船子を展開するもので、岡者と合わせ、大規模な体制が構築され、重要な産業であったと考えられる。  (「淡路 五色濱 – 六十余州名所図会 – 東京情報大学」より)]

淵上旭江作『山水奇観』 – 淡路五色濱(「国立公文書館デジタルアーカイブ – 山水奇観」より)

『六十余州名所図会 阿波 鳴門の風波』(wikipedia-photo)

淵上旭江作『山水奇観』 – 阿波鳴門(「国立公文書館デジタルアーカイブ – 山水奇観」より)(拡大画面)

鳴門遠景(「阿波名所図会. 巻上,下 / 探古室墨海 [撰]」 – 「 1巻 7p 」より)

[図会左下に「をふけ山(大毛山)」、中央下に「丁子ノ口」、その上に「はだか嶋(裸島)」、さらにそこの左上に戸崎(門崎)、図会右下に「とび嶋(飛島)」、右上に「ふくら浦(福良湾)」が描かれています。「はだか嶋(裸島)」は現在の大鳴門橋の四国側端の橋脚の西側にあります。]
[裸島は鳴門公園千畳敷からみる鳴門海峡の美にひとつの彩りを添えていたが、大鳴門橋の四国側主塔が、島の中央水路寄りに建設され島の真上を道路が通るようになり、景観が一変した。  wikipedia・裸島より)]


[鳴門の渦潮(なるとのうずしお)は、徳島県鳴門市兵庫県南あわじ市の間にある鳴門海峡で発生する渦潮である。大潮の際には渦の直径は最大で30メートルに達するといわれ、渦の大きさは世界最大級といわれる。
鳴門海峡は、本州四国の間にある瀬戸内海太平洋とを結ぶ海峡の一つで、幅が約1.3キロメートル。潮汐により1日に2回、大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出す。瀬戸内海と太平洋の水位差は最高で1.5メートルにも及ぶ。海峡の幅が狭いことに加え、海底の複雑な地形も影響し、潮流は13キロメートル毎時から15キロメートル毎時の速度で流れる。大潮の時には20キロメートル毎時に達することもある。この潮流の速度は日本で一番速く、イタリアのメッシーナ海峡やカナダのセイモア海峡(Seymour Narrows)と並んで「世界三大潮流」にも数えられることもある。
この速い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目において、渦が発生する。渦の直径はおよそ15メートルほどに達する。  (wikipedia・鳴門の渦潮より)]

『六十余州名所図会 讃岐 象頭山遠望』(wikipedia-photo)

[図会は金毘羅街道で、街道右に丁石が描かれ金毘羅詣りの人々が行き交い、背後に象頭山が描かれ、象頭山左に金毘羅神社が描かれています。]

平成の百十丁石 金毘羅街道(丸亀街道)

[こんぴら街道の一つだった丸亀街道の道沿い4カ所に道しるべ「平成の丁石」が建立された。関係者らが27日、丸亀市内2カ所と満濃善通寺の各所で記念式典を行い、新たな観光資源の誕生を祝った。
 建立したのは、丸亀街道に点在する灯ろうや茶堂跡など歴史遺産の調査、整備を目的に官民で組織する「こんぴらさんへの道しるべ協議会」(曽川昭男会長)。かつて丸亀街道沿いには約百五十本の丁石があったとされているが、道路の拡幅工事などによって次第に行方が分からなくなっており、同協議会が地域活性化の促進と観光振興を目的に、新たな丁石の建立に取り組んだ。
 丸亀街道は、丸亀城下町から城外へ通じる番所が置かれていた中府口(現在の丸亀市中府町)から琴平町中心部にある高灯ろうまでの約十二キロ。今回の丁石は、中府口を起点に五丁、二十丁、九十丁、百十丁(一丁は約八十メートル)の各地点に建立した。
 丁石は四本とも青木石製で、一辺二十五センチ、高さ百二十センチの四角柱。表面には丁数を彫り込み、ろうそくを立てる場所には京極藩の船印を入れた。また、側面には「こんぴら街道」の文字や、中府口から高灯ろうまでの総距離と丁石がある地点の距離数などを示した。  (「ふるさと文化財探偵団(こんぴら街道を歩く)」より)]

「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」に描かれる讃州豊島石」にリンク

『六十余州名所図会 伊豫 西條』(wikipedia-photo)

[画面中央に四国最高峰の石鎚山を置き、その麓には西条藩松平氏3万石の陣屋町西条、右手前に白帆をまきあげた廻船を配している。本資料は淵上旭江の『山水奇観』より図柄を借用しているが、近景に廻船の帆を大きく描き込むなど、広重の工夫の跡が見える。画面上では城郭が描かれているが、実際には西条藩では城郭は作られず陣屋であった。  (「六十余州名所図会伊予西條 – 文化遺産オンライン」より)]

淵上旭江作『山水奇観』 – 伊予西條(「国立公文書館デジタルアーカイブ – 山水奇観」より)

『六十余州名所図会 土佐 海上松𩵋釣』(wikipedia-photo)

[土佐国(とさのくに:高知県) のカツオ釣りの様子を描いた「日本山海名産図会」の「土劦鰹釣(どしゅうかつおつり)」を画材としたとされる。沿岸近くを流れる黒潮に乗って北上する春の上りカツオの一本釣りの様子である。現在も一本釣りのカツオは品質が良く、高値で取引きされる。船上のムシロは、カツオの保存のための冷蔵庫と考えられる。  (「六十余州名所図会 – 東京情報大学」より)]

「土劦鰹釣(どしゅうかつおつり)」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 4p 」)

「海人釣舟迎て鰹魚を汀にて屠る」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 6p 」)

「行厨にて鰹魚を屠る」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 7p 」)

「蒸して乾魚を製す」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 9p 」)

「乾魚を磨て納む」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 4巻 – 10p 」)