六十余州名所図会(山陰道)

『六十余州名所図会 丹波 鐘坂』(wikipedia-photo)

[図会左に鐘坂、右峯上に鬼の架け橋が描かれていますので、丹波市側からの図会になります。]

鐘ケ坂峠の鳥瞰カメラです。カメラ初期設定方向中央二つの谷筋の右が鐘ケ坂になり、カメラ初期設定下、直線道路のトンネル口が現在の国道176号の鐘ケ坂トンネルで、その左のカーブ道路の先が昭和のトンネル、その右側に明治のトンネル口があります。

[鐘ケ坂峠(かねがさかとうげ)は、兵庫県丹波市柏原町と丹波篠山市の境にある峠。国道176号が通っている。地名の由来は定かではないが、民話的伝承ではこの周辺を荒らしまわっていた鬼を退散させるため、この地に鬼が嫌う音色を出すという梵鐘を設けたからであると伝えられている。 古くは「鐘坂」とも表記され、古来より京阪神間から丹波を経て但馬丹後地方に抜ける際の交通の難所として知られていた。 このため明治期以降たびたびトンネル工事が行われ、現在は3代目の鐘ケ坂トンネルが稼働中。  (wikipedia・鐘ケ坂峠より)]

鐘ヶ坂隧道 明治・昭和・平成と3世代が同じ峠に揃っている

鬼の架け橋

『六十余州名所図会 丹後 天の橋立』(wikipedia-photo)

[図会右下に神社と鳥居が描かれ、右海に帆船が描かれていますので、天の橋立南方向から北方向の絵になります。南にある宮津湊は江戸時代北前船の港町として栄えました。]

カメラは天の橋立の鳥瞰カメラで、初期設定は北から南方向のカメラです。

『六十余州名所図会 伹馬 岩井谷 窟観音』(wikipedia-photo)

[岩井谷観音とは、窟(いわや)観音、つまり洞窟の中におさめられた観音を指す。この作品に描かれているのは兵庫県朝来(あさご)市に存在する鷲原寺(わしはらじ)。奥の院は険しい山道を抜けた所にあり、岩肌がむき出しの洞窟内に石仏が並ぶ。頭上には岩壁に直接彫られた仏像である磨崖仏も。これらの仏像は鎌倉時代に彫られたとされており、元の大軍が押し寄せた国難を切り抜けるために全国的に造仏の動きがあった時期と重なっている。  (「広重 / 六十余州名所図会 但馬 岩井谷窟観音」より)]

岩屋観音 兵庫 – おいしい生活 – SSブログ

岩屋観音を管理している鷲原寺山門前のカメラです。

『六十余州名所図会 因幡 加路小山』(wikipedia-photo)

[図会水面に挟まれた陸が賀露、左が湖山池、右が日本海、手前の川が湖山川と思われます。]
[江戸時代の賀露は因州藩の外港として重視され、「船手番所」が置かれた。この番所には徒士 1 名、下番・水主 2 名が配置され、因幡国内に入港する船の乗組員や出入りする物資を監視した。明暦 3 年(1657)には因幡からの出港者の吟味や異国船監視が加えられたほか、貞享 5 年(1688)には番所前での魚釣や無用者が船を着岸することも禁じており、人・物資の取り締まりはかなり厳しいものがあった。1660 年代に作成されたとされる倉田八幡宮蔵「寛文大図」によれば、千代川の沖合に鳥ヶ島と宮島が浮かび、賀露明神(現賀露神社)の下に番所が、湖山川と千代川の合流地点には御茶屋が描かれている。東善寺のあたりから賀露明神下にかけて御茶屋を囲むような形で多数の集落が広がっているほか、日本海に面した沿岸部にも漁師と思われる数軒の家が並んでいる。  (「賀露港(鳥取港)の「みなと文化」」より)]

湖山池南から青島を見たカメラです。

[湖山池(こやまいけ)は、鳥取県鳥取市北部にある汽水湖である。「池」と付く湖沼の中では日本最大の広さである。湖山池は鳥取県内では、中海の次に大きい湖沼である。古代に日本海から湾入した場所が、砂丘の発達や堆積により、海と分離されてできた海跡湖である。大小多数の小島が浮かぶ。最大の島である青島には、湖岸から架橋されており、桜の木が多数植えられた道路で徒歩や自転車により一周することができ、キャンプも可能である。数本の河川が流入、湖山川によって日本海と結ばれる。鳥取市郊外の行楽地の一つである。  (wikipedia・湖山池より)]

『六十余州名所図会 伯耆 大野 大山遠望』(wikipedia-photo)

[伯耆の大山は、出雲富士とも称される美しい山。本図はその大山を望む麓で、五月の柔らかな雨の中、蓑や笠で雨を避けながら家族総出で田植えにいそしむ農家の様子を描いています。雨の風景でありながら、人々の表情は明るく、農家にとっては恵みの雨であることが窺えます。風景 のみならずそこにいる人物たちの心情まで伝わってくる傑作です。  (「伯耆 大野 大山遠望|歌川広重|浮世絵のアダチ版画」より)]

大山(弥山) 山頂からのカメラです。

『六十余州名所図会 出雲 大社 ほとほとの図』(wikipedia-photo)

[江戸時代の出雲大社の周辺では、正月15日の夜に子どもたちが「ほとほと」と家々の戸を叩いてお餅やお菓子をもらう風習があり、それを描いたものです。  (「いにしえからの挑戦状_第4章_正解発表!! – 島根県」より)]
[「ほとほと」は訪問者などの戸を軽くたたく音にいう言葉。中国地方で小正月の夜、若者や子供が、蓑笠(みのかさ)や頭巾(ずきん)をつけて家々の門を訪れ、「ほとほと」と唱えて餅(もち)や祝儀などをもらう。
蓑笠は農耕神の衣装だ。神は小正月の満月の夜に、神の妻である乙女の部屋に訪れる。娘たちは神に餅を備え、歓待する。神の土産は、豊穣。神と娘との聖なる婚姻により、異界・他界の豊穣が人間世界にもたらされる。神と神の妻である人間の女性が結ばれるので、出雲大社は縁結びの神になる。  (「ほとほとと戸を叩いて訪れる神 – ぷかぷか」より)]

出雲大社勢溜の大鳥居前のカメラです。

松の参道のカメラです。

『六十余州名所図会 石見 髙津山 汐濱』(wikipedia-photo)

[図会に描かれる場所が高津川の河口とすると、図会中央左の鳥居は恵美須神社と思われます。]
[石見国(いわみのくに:島根県益田市)の高津川の河口から西側にあったとされる津和野藩の塩田を描いた景観図である。「山水奇観」を参考に描かれた。  (「六十余州名所図会 – 東京情報大学」より)]
[高津川の河口の西に津和野藩の塩田があったとされる。  (wikipedia・高津川より)]

淵上旭江作『山水奇観』 – 石見高津山(「国立公文書館デジタルアーカイブ – 山水奇観」より)

日本山海名物図会」(巻の三 – 18ページ・塩濱)

高津川の河口にある鴨島大橋からのカメラで、カメラ西方向で江戸時代に塩田が開かれていたようです。

『六十余州名所図会 隠岐 焚火の社』(wikipedia-photo)

[隠岐国(おきのくに:島根県隠岐郡)の西の島にある焼火山(たくひやま)の焼火(焚火)権現に対して、木造船上の船子が、御幣を振り、航海の安全を祈願している様子である。木造船は、菱垣廻船樽廻船かの判読が困難であるが、関西酒田までの間を結ぶ日本海西回り航路における物資の輸送に貢献した。  (「六十余州名所図会 – 東京情報大学」より)]

焼火山からのカメラです。