日光例幣使道分間延絵図(富田宿)

例幣使街道開通以前から宿場機能を備えていた富田宿だが、幕府から正式に伝馬宿として指定されたのは少し遅れた正保3年(1646)であった。その後、新町・上町・中町・荒町・下町 の5町までに発展したが今は往時の面影を僅かに残す静かな町並みとなってしまった。  (「例幣使街道富田宿」より)

絵地図初期設定画面に「畳岡村(栃木市岩舟町畳岡)」、「下津原村(栃木市岩舟町下津原)」と記述されています。

絵地図初期設定画面に「的場村(栃木市岩舟町静(小字「駒場」))」、絵地図を右にスクロールすると「畳岡村」と記述されています。
1889年(明治22年) – 町村制施行により、栃木県下都賀郡静村が同郡鷲巣村、畳岡村、下津原村と合併し岩舟村(旧)が成立、岩舟村大字静となり、岩舟村役場が置かれる。  

絵地図初期設定画面に「茂呂村」と記述されています。
1876年(明治9年)-茂呂宿村・中ノ島村が合併して和泉村となる。

絵地図初期設定画面に「茂呂宿村 沖之島村 入会」と記述されています。記述左上の二又は小山道追分(栃木県道36号岩舟小山線(旧・国道50号))になります。
1876年(明治9年)-古橋村・沖ノ島村・赤塚村(現栃木市)が合併して三和村となる。

絵地図初期設定画面中央左街道両サイドに一里塚が描かれ、右端に「古橋村(栃木市岩舟町静和)」と記述されています。
1876年(明治9年)-古橋村・沖ノ島村・赤塚村(現栃木市)が合併して三和村となる。1889年(明治22年)- 和泉村、三和村、静戸村、曲ノ島村、五十畑村が合併し静和村(現栃木市)となる。

絵地図初期設定画面に「富田宿(栃木市大平町富田)」と記述され、そこの下、街道下に本陣、高札場、宿場中央下に玉正寺が描かれています。絵地図を右にスクロールすると江川が描かれ、右端に一里塚が描かれています。

絵地図を右にスクロールすると富田宿集落が描かれています。

絵地図初期設定画面に「川連村(栃木市大平町川連)」、絵地図を右にスクロールすると「下皆川村(栃木市大平町下皆川)」と記述され、「下皆川村」左に永野川が描かれています。
永野川は尾出山(おでやま)に源を発し、流末は巴波川(うずまがわ)に落合います、常は徒歩渡り、冬は仮橋が架橋されました。  (「例幣使街道」より)

  日光例幣使道分間延絵図(犬伏宿)    日光例幣使道分間延絵図(栃木宿)