日光例幣使道分間延絵図(犬伏宿)

古来から、犬臥町または犬伏村と称したようですが一定していません。明和元年から日光例幣使道犬伏宿と称しました。
犬伏宿内を三分し、西から東に向かって、上、中、下の三丁としました。寛永13年、下町に接して戸数およそ70戸を設立し、新町と称しました。  (「地 名 の い わ れ – 佐野市」より)

絵地図初期設定画面に「犬伏宿」、絵地図を右にスクロールすると「堀米町(佐野市堀米町)」と記述されています。

絵地図を右にスクロールすると「犬伏宿」と記述され、その下、上方向の道筋左に光徳寺、右に西蓮寺があり、西蓮寺下に犬伏宿本陣、街道下方向に大庵寺が描かれています。

絵地図を右にスクロールすると三杉川と支流が描かれ、その間の集落は現在の佐野市関川町になります。
貞享3年(1686年)、韮川橋から東に向かい、大橋に至る往還に沿って、17戸を設置し、関川としたとのことです。(大橋:犬伏宿の東、三杉川の下流にあり) (「関川町 – 佐野市」より)

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