日光道中分間延絵図(徳次郎宿)

徳次郎宿(とくじらじゅく)は、日光街道の18番目の宿駅(宿場町)である。現在の栃木県宇都宮市徳次郎町界隈。
徳次郎宿は、はじめは上徳次郎宿のみであったが、上徳次郎宿、中徳次郎宿、下徳次郎宿の3宿から成る宿場町で、これらに古道旧日光街道沿いの門前村、田中村、西根村を加え徳次郎六郷と呼ばれていた。高札場は中徳次郎宿にあった。はじめ宇都宮藩であったが、嘉永四年(1851年)より代官領となった。
朝鮮通信使日光社参に3度訪れ、江戸出発から4日目の昼食を徳次郎宿で摂るのが恒例となっていた。帰りは今市宿から徳次郎を通過して宇都宮宿で昼食を摂り、小山宿に泊まる強行軍が慣例であったため、徳次郎で昼食を摂ったのは最後の1回(明暦元年=1655年)だけであった。朝鮮通信使は本隊が200 – 300人ほどで、日本側の警護・案内・接待などの随行員を加えると1,000人超の大行列であった。琉球使節も3度、日光社参に訪れているが、行程の記録は残っていない。ただし江戸-日光間往復に要した日数が9日であったことが分かっており、朝鮮通信使と同様の行程であったと推定される。
天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、徳次郎宿の本陣は2軒、仮本陣1軒、脇本陣3軒、仮脇本陣1軒が設けられ、旅籠が72軒あり、日光道中最大級規模の宿駅であった。宿内の家数は168軒、人口は653人であった。  (wikipedia・徳次郎宿より)

絵地図初期設定画面中央左側に上戸祭の一里塚が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「上戸祭村(宇都宮市上戸祭町)」と記述されています。

木曽路名所図会. 巻之1-6 / 穐里籬島 編 ; 西邨中和 [画]」・「日光街道」( 7 巻- 29 )

[左ページ街道上に大谷かんおん道の標杭があり、上方向に大谷観音(宇都宮市大谷町)と記述され、右ページ右上に野沢(宇都宮市野沢町)と記述されています。

絵地図初期設定画面右上に「野澤村(宇都宮市野沢町)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると上戸祭の一里塚が描かれています。

絵地図初期設定画面、左端に高谷林の一里塚(宇都宮市下金井町)が描かれ、右上に「上金井村」、絵地図を右にスクロールすると「下金井村」と記述されています。

絵地図初期設定画面に「下徳次郎宿(宇都宮市徳次郎町)」と記述されています。

絵地図初期設定画面中央左に「上徳次郎宿」、そこの左下に「本陣」「脇本陣」と記述され、本陣前に高札場が描かれています。絵地図を右にスクロールすると「中徳次郎宿」と記述されています。

絵地図初期設定画面右上に「上 下 石那田村(宇都宮市石那田町)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると石那田(六本木)一里塚が描かれています。

  
日光道中分間延絵図(宇都宮宿)    日光道中分間延絵図(大澤宿)