三島宿 問屋場

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第四 三嶋ヨリ江尻マデ」(コマ番号3/24)
絵図右方向にスクロールすると、右端に「大明神」と記述され、その下に「三嶋札辻」と記述され、鳥居未左に高札場が描かれています。その左一筋目と二筋目の中央付近に問屋場があったと思われます。

  
問屋場
[宿場(しゅくば)があった時代には、現在の三島市役所中央町別館のところに問屋場がありました。幕府の役人や大名および旅人の荷物を運ぶために、いつも人足と馬を用意していました。三島宿は、初めのころ、人足36人、馬36頭の常備を義務づけられましたが、その後100人100頭、200人200頭の時代もありました。
 三島宿を通行する人や馬の数は大変多く、夜明け前から夜遅くまでにぎわいました。大名行列が早立ちともなれば、問屋場は目の回るほどの忙しさでした。大名行列のたびに、問屋場の役人は交代で送り迎えをしたり、本陣宿泊中は警備をしたりと、体がいくつあっても足りないぐらいでした。また、通信の仕事をする飛脚人足(ひきゃくにんそく)もいました。
 これらの仕事の管理を行った場所が問屋場と呼ばれ、宿場の中心的役割を担いました。問屋年寄(としより)、名主(なぬし)という宿(しゅく)三役により運営されており、運輸、宿泊の仕事を問屋と年寄で、年貢(ねんぐ)の取り立てなどの仕事を名主が行っていました。  (「三島宿 – 三島市」より)]

三島宿問屋場跡 – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向に三島宿 問屋場碑と案内板があります。