三嶋大社

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号14/14)
絵図左上に「三嶋大明神」と記述されています。

  
三嶋大社
[三嶋大社(みしまたいしゃ、三島大社)は、静岡県三島市大宮町にある神社。式内社(名神大社)、伊豆国一宮、伊豆国総社旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
静岡県東部の伊豆半島基部、三島市の中心部に鎮座する。境内入り口の大鳥居前を東西に旧東海道、南に旧下田街道が走る。周辺は伊豆国の中心部として国府のあった地で、のちに三嶋大社の鳥居前町として発達、いつしか地名も大社に由来して「三島」と称されるようになったとされる。
社名の「三嶋」とは伊豆大島三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神である。当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
境内では本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に、キンモクセイが国の天然記念物に指定されている。また社宝では、北条政子の奉納と伝わる国宝の「梅蒔絵手箱」を始めとして、多数の所蔵品が国の重要文化財や静岡県指定文化財に指定されている。
祭神は次の2柱。
大山祇命(おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
創建は不詳。後述のように『延喜式』神名帳には伊豆国賀茂郡(伊豆半島南部・伊豆諸島)の所在と記載され、現在地(当時は田方郡)と相違することから、遷座説・郡名誤記説等の諸説が提唱されている。文献上で現在地の鎮座が確実なのは、『吾妻鏡治承4年(1180年)の記事からである。
現在通説として知られるのは、初め賀茂郡三島郷(伊豆諸島か)、のち賀茂郡大社郷白浜(伊古奈比咩命神社付近か)、さらに田方郡小河郷の伊豆国府(現社地)へと遷座(一説に勧請)したとする説である。一方の郡名誤記説では、『延喜式』の記載を疑い、太古より当地に鎮座とする。以上のほか、「三嶋」の神名から伊予国一宮の大山祇神社(大三島神)との関係を想定する説もある。
史料の初見は天平宝字2年(758年)で、「伊豆三島神」に対して10月2日に封戸9戸が、12月に封戸4戸が授けられている。国史では天長9年(832年)の記事において、三嶋神・伊古奈比咩命神(伊古奈比咩命神社)の2神が地2,000町に神宮二院・池三処を作るなど多くの神異を示したとして、名神に預かっている。
中世に入ると、三嶋社は伊豆国で一宮の地位に位置づけられたほか(初見は建武元年(1334年))、伊豆国の総社も兼ねたとされる。『伊豆国神階帳』(康永2年(1343年)以前成立)では「正一位三島大明神」と記載されている。
戦国時代には当地を治めた後北条氏の保護を受け、後北条氏からは造営の支援も行われた。永禄11年(1568年)の甲相駿三国同盟解消に伴って当地は対武田氏の最前線になったため、度々兵火に遭ったとされる。後北条氏は積極的に三嶋社の造営を支援したが、それが後北条氏にとっての重荷になったともいわれる。
江戸時代江戸幕府からは文禄3年(1594年)に社領330石が寄進された(地割は神主100石、護摩堂25石、刑部大夫20石、在庁免25石、惣社人55石等)。慶長9年(1604年)にはさらに200石が加えられ、江戸時代を通じて計530石を有していた。
明治維新後、明治4年(1871年)に近代社格制度において官幣大社に列し、「三島神社」と称した。戦後は「三嶋大社」と改称し、神社本庁の別表神社に列している。
主要社殿は、本殿・幣殿・拝殿からなる権現造の複合社殿である。大社側ではこれらを「御殿(ごてん)」と総称する。いずれも江戸時代末期の嘉永7年(安政元年、1854年)の安政東海地震後に再建されたもので、慶応2年(1866年)9月9日に落成した。境内にある主な建造物も、同時期の明治元年(1868年)にかけての再建である。
大鳥居・wikipedia-photo、総門・wikipedia-photo、神門(三島市指定文化財)・wikipedia-photo、舞殿(手前)と拝殿(左奥)・wikipedia-photo、拝殿(国の重要文化財)・wikipedia-photo、本殿(左)・拝殿(中間の小屋根は神饌所)(国の重要文化財)・wikipedia-photo、舞殿(三島市指定文化財)・wikipedia-photo、神馬舎・wikipedia-photo、芸能殿・wikipedia-photo、キンモクセイ(国の天然記念物)・wikipedia-photo  (wikipedia・三嶋大社より)]

東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」 – 「請求記号:文庫30_e0205_0005 70カット」(コマ番号42)
三嶌神社

三嶋大社ホームページ
三嶋大社境内図

『五十三次名所図会 十二 三島』、三嶋大明神一の鳥居 (Wikimedia Commons)

[三島宿は三島神社の門前町として栄えた宿場です。一つ手前の箱根の山を越えた客がここで英気を養っていました。天井と地面のぼかしによって、より深い遠近感が出ています。
このシリーズが竪(たて)型版であるため、一般に竪絵(たてえ)東海道と呼ばれ、広重晩年(59才)の作品です。広重の東海道ものは大体において、横型の風景画が多いなかで、竪型物もいくつかあります。この名所図会シリーズではほとんどの宿が鳥瞰図で描かれ、町並み等に遠近法を用い、横判では見られない雰囲気をかもし出しています。  (「五十三次名所図会 十二 三島 三嶋大明神一の鳥居(竪絵東海道)」より)]

東海道五十三次 (浮世絵) 三島 保永堂版 朝霧(wikipedia-photo)

[現在の神奈川県三島市にあたる。早朝に宿を発つ旅人に光をあて、朝霧が立ちこめる情景を描き出している。奥に見える鳥居は三島明神(現在の三島大社)のもの。手前の駕篭の一行は三島から箱根方面へ、左側の3人の人影は沼津方面へと向かっている。背景描写には、あえて輪郭線を用いず、シルエットのみを捉えて描くことで、霧による湿潤な空気感、駕篭の一行を取り巻く空間の広がり、夜明け前の静寂さまでもが見事に表現されている。  (「東海道五拾三次之内 三島 朝霧 | 歌川広重 | 作品詳細 – 東京富士 …」より)]

『東海道五十三次(隷書東海道)』より「東海道 十二 五十三次 三嶋」(wikipedia-photo)

葛飾北斎『東海道五十三次』(東海道五十三次-葛飾北斎 画[他]-歴史画報社.pdf) – 三嶋

三嶋大社大鳥居 – Google Map 画像リンク」「総門 – Google Map 画像リンク」「三島大社手水舎 – Google Map 画像リンク」「神門 – Google Map 画像リンク」「三嶋大社 – Google Map 画像リンク」「拝殿 – Google Map 画像リンク」「三嶋大社本殿 – Google Map 画像リンク」「神馬舎 – Google Map 画像リンク」「三嶋大社のキンモクセイ – Google Map 画像リンク

三嶋大社大鳥居前のカメラです。

総門前のカメラです。

神門前のカメラです。

拝殿前のカメラです。