高来神社

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号12/19)
絵図をスクロールして、右端に花水川が描かれています、ここから左が大磯でその左方向に「ごんげん」と記述されています。これが「高来神社」で、その右下に「かうらい寺」と記述されています、そこが別当寺であった高麗寺になると思います。

高来神社
[高来神社、高來神社(たかく じんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町高麗(こま)に鎮座する神社。高麗神社とも呼ばれる。旧社格は郷社。
社名は一説に朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人に由来するといわれる。
中世の戦乱等により書物が焼失したため起源は明らかでないが、神武天皇の時代の創建とする記録があるという。
かつては高麗山の山頂に上宮があって高麗権現社といい、右の峰に白山権現を、左の峰に毘沙門天を勧請して「高麗三社権現」と称した。
高句麗が新羅連合軍に滅ばされた時に、その王族・若光を中心に高麗人が相模国大磯に渡来し、その後若光一族を含めた各地の高麗人は武蔵国高麗郡(こまぐん)に集められ、高麗神社も設立したという。高来神社の例大祭「御船祭」の木遣歌「権現丸」に、「高麗国守護」が渡来して、「大磯浦の守護」となったとある。
また古来武門の信仰が篤く、鎌倉期に将軍源頼朝が正室北条政子の安産祈願をして、戦国時代には後北条氏がわずかな領地を寄進したという文献があるという。
虎御前は大磯の遊女で、『曽我物語』の主人公、曽我十郎の恋人。この寺で出家して、生涯を十郎の鎮魂に捧げた。
相模国淘綾郡(高麗寺領)高麗寺村、のち高麗村、大磯町高麗に位置した。
年表
●神武天皇朝?:創建
養老元年(717年):本地垂迹説に基づく神仏習合により高麗寺別当の所管となる
天正19年(1591年):徳川家より朱印地百石を与えられる
寛永年間:東照大権現を併祀
明治元年(1868年):神仏分離令により高麗寺から分離され高麗神社となる(高麗寺は廃寺)
●明治30年(1897年):高来神社に改称(戦国時代に相模国大住郡に新設された「高来郷」に由来)
鳥居と参道(2002年2月)・wikipedia-photo、拝殿・wikipedia-photo  (wikipedia・高来神社より)]

高来神社(たかくじんじゃ) – Google Map 画像リンク」「神輿殿 – Google Map 画像リンク」「高来神社 高麗山霊水御供水 – Google Map 画像リンク

高来神社参道前のカメラです。

高来神社幣殿前のカメラです。