東海道絵図(亀山宿)

東海道五十三次江戸から数えて46番目の宿場町。規模としては約2.5㎞にもおよぶ大きな町並みですが、大名の宿泊所であった本陣脇本陣は各1軒しかないうえに、伊勢参詣も経路から外れていることもあり旅籠も21軒と少なく、宿場町としては比較的小規模であったようです。しかし、加藤家屋敷跡や旧舘家住宅、高札場跡など、随所にかつての面影をとどめており、城下町の風情を感じることができます。  (「亀山の歴史を知る – 東海道 関宿を歩く – 三重県観光連盟」より)

東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第九 桑名ヨリ土山マデ」よりダウンロードして利用しています。

元図「コマ番号 9/15」リンク

絵地図初期設定画面上に「海善寺」、その右に「小田(鈴鹿市小田町)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると「和泉(鈴鹿市和泉町)」と記述、安楽川が描かれ、その右に「八まん(西富田川俣神社)」と記述されています。その右「西とミた(鈴鹿市西富田町)」、「くわんおん(観音)」、「中とミた(鈴鹿市中富田町)」、「中とミた」の右に「一里塚 江戸から九十八里 京から二十二里」と中冨田一里塚が表示され、その右に「是から西 亀山領(従是東神戸領石柱)」と領界が示され、右端に「やくわういん 薬師」、「志んふく寺(真福寺)」と記述されています。

元図「コマ番号 9/16」リンク

絵地図初期設定画面右に「一里塚 江戸から九十九里 京から二十一里」と和田一里塚が表示され、絵地図を右にスクロールすると「わだ(亀山市和田町)」、その右に「白子ヘノ道」へと記述されこの地に和田道標があります。さらにその先に「河合(亀山市川合町)」集落が描かれています。

元図「コマ番号 9/17」リンク

絵地図初期設定画面左上に「浄土宗 長ふく寺」、「乃むら(亀山市野村3丁目)」と記述され、絵図中央に「浄土宗 玉千寺」、その右に亀山城京口門が描かれ「番所」と記述されています。絵地図を右にスクロールすると、絵地図接合部端に「亀山城 札辻」と記述され、その次の鍵の手に江戸口門が描かれ「番所」と記述されています。その右「新町」、「なべや町」、「ばいのふ ? 」の家並みは、現在の亀山市本町3丁目本町4丁目になると思います。家並外れに「道心寺」、「京らしき庭あり」と記述されています。

元図「コマ番号 9/18」リンク

絵地図初期設定画面左に「たいこうしなわて(太岡寺畷・亀山市太岡寺町)」、「おちば里(落針)」、右端に「くわんおん(昼寝観音)」と記述され、絵地図をスクロールすると、「たちどの宮」と記述され、「たちどの宮」は布氣皇舘太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)になります。そこの右方向に「野尻(亀山市布気町野尻)」、「一里塚 江戸から百里 京から二十里」と野村一里塚が表示され、右端に「浄土宗 長ふく寺」、「乃むら(亀山市野村3丁目)」と記述されています。
[神辺小学校の南側の道は、江戸と京を結ぶ東海道という道でした。道がまっすぐになっているところを「畷(なわて)」と呼びました。布気町落針から小野町までの約2キロメートルにわたる鈴鹿川の堤防の道を「太岡寺畷」といい、東海道で一番長い畷といわれていました。むかしは松の並木が続いていましたが、現在は桜の並木に植えかえられています。  (「亀山にまつわる人・もの・こと」より)]

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