四日市宿(よっかいちしゅく、よっかいちじゅく)は、東海道五十三次の43番目の宿場である。現在は三重県四日市市。
幕府直轄の天領であり、代官所が置かれていた。宮宿との間に「十里の渡し」があった。宿内人別:7114人(男:3522人、女:3592人)、宿内総家数:1811軒(本陣:2、脇本陣:1、旅籠:98)。 (wikipedia・四日市宿より)
東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第九 桑名ヨリ土山マデ」よりダウンロードして利用しています。
元図「コマ番号 9/6」リンク
絵地図左下に「薬師(薬師寺)」と記述され、その右に「山の神(南町山の神)」、「東とミだ(東富田・四日市市富田)」の家並、家並端に「八まん(富田八幡神社)」、そこの右に「一里塚 江戸から九十三里 京から二十七里」と富田の一里塚が表示されています。絵地図を右にスクロールすると「西とミだ(四日市市西富田)」、「長らく寺」、「まいた(四日市市蒔田)」、「一向宗長めい寺(長明寺)」、「まつてら(四日市市松寺)」、「あさき」と記述され、それの右に「あさき川(朝明川(あさけがわ))」が描かれています。
[蒔田村 – まきた又はまいたと言う。朝明川下流右岸の沖積地に位置する。浄土真宗本願寺派朝明山長明寺があり、その北に隣接して蒔田観音寺と神明寺がある。観音寺は竜王山宝性寺とも云う。 (wikipedia・富田六郷#蒔田村より)]
元図「コマ番号 9/7」リンク
絵地図初期設定画面中央に「はつ(四日市市羽津町)」と記述され、絵地図を右スクロールすると、「はつのやわた」(四日市市八田又は伊勢國八幡神社舊跡)、「はづ川」と記述されています。「はづ川」は「米洗川(よないがわ)」のことだと思います。その先に「もちふく(四日市市茂福町)」と記述され、その先に「薬師(薬師寺)」記述されています。
元図「コマ番号 9/8」リンク
絵地図初期画面設定の上に「諏訪大明神」と記述され、そこの右方向鍵の手に「四日市 札辻」、「御茶屋此の近所ニ有 此の所よ里舟場へ行」と茶屋の案内と四日市湊への記述がされています。そこの右に「見たち川(三滝川)」が描かれ、絵地図を右スクロールすると、「七ツ屋」(四日市市川原町 ? )、さらに右方向に「かいぞ川(海賊川)」が描かれ、川向うに「一里塚 江戸から九十四里 京から二十六里」と三ツ谷一里塚が表示され、その右に「みつや(四日市市三ツ谷町)」と記述されています。
元図「コマ番号 9/9」リンク
絵地図初期画面設定の上に「一向宗かうせう寺(興正寺)」「ひなが(四日市市日永1丁目)」「大宮春日明神(大宮神明社)」「あかぼり(四日市市赤堀南町)」と記述され、絵地図を右にスクロールすると四日市宿の家並が描かれています。
元図「コマ番号 9/10」リンク
絵地図初期画面設定上左に「すな川」が描かれ、その右絵地図接合部端に「伊勢山田ヘノ道」と記述され、その右に「をいわけ(四日市市追分)」と記述されています。絵地図をスクロールすると「とまり(四日市市泊町)」、中程過ぎに「すな川」、「一里塚 江戸から九十五里 京から二十五里」と日永一里塚が表示され、その右に「大神」、「神明(日永神社)」、さらに「浄土宗 りょうせい寺(両聖寺)」「一向宗 かうせう寺(興正寺)」と記述されています。
元図「コマ番号 9/11」リンク
絵地図初期画面下に「くわんおん」、「大日堂」、「つえつき坂(杖衝坂)」と記述され、「うねめ町(四日市市采女町)」が描かれ、絵地図右に「つえつき川(内部川)」と記述されています。絵地図をスクロールすると「ひめこやぶ(比賣小藪 ? )」、「をごそ(四日市市小古曽)」、「くわんおん(観音寺)」と記述され、絵地図右端に「すな川」が描かれています。
元図「コマ番号 9/12」リンク
絵地図初期画面設定の上、「大谷」「小谷」と記述され、その下に「八まん」と記述されています、この「八まん」は現在の若宮八幡宮で、若宮八幡宮『延喜式神名帳』にある「鬼太神社(きたじんじゃ、伊勢国・河曲郡)」に比定される神社のようで、「おにた」「しこた」など多くの読みがあり、「きた」と読まれ始めたのは江戸時代になってからとも言われています。「大谷」は浪瀬川、「小谷」は浪瀬川の支流かと思います。絵地図右スクロールすると「清水谷」、右端手前に「一里塚 江戸から九十六里 京から二十四里」と采女一里塚が表示されています。