東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ[19]」からダウンロードして利用しています。
元図「コマ番号 2/12」リンク
絵地図初期設定画面の家並は大磯宿で、家並上左から「志ふく寺(地福寺)」、「大うん寺(大雲寺)」、「ようこく寺(楊谷寺)」、家並み下左から「妙れん寺(妙輪寺)」、「えんたい寺(延台寺)」、「明神(神明神社)」と記述され、絵地図右に「一里塚 江戸から十六里 京から百四里」と化粧坂の一里塚が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「ごんげん(高来神社)」、「かうらい寺(高麗寺・高来神社の別当寺、廃寺)」、「一向宗 せんふく寺(善福寺)」と記述され、その先「花水のはし」と記述され、「花水川・花水橋」が描かれています。
元図「コマ番号 2/13」リンク
絵地図初期設定画面左端に「切どうし(城山の切通し)」、その上に「本山の内に石のぢぞう」と「身代わり地蔵」についての記述がされ、「小いそ(大磯町東小磯・西小磯)」と記述、絵地図を右にスクロールすると「大磯宿」が描かれ、「大磯 札辻」と記述、その下に「志ぎ立沢ミ流(鴫立庵)」と記述されています。
元図「コマ番号 2/14」リンク
絵地図初期設定画面に左に「志ぼミ(塩海(しぼみ))」と記述され、その右葛川に架かる橋は塩海橋になります。絵地図右に「れんげ寺(蓮花院)」と記述、絵地図を右にスクロールすると絵地図中程に「かう(国府・中郡大磯町国府新宿)」、「六社明神(六所神社)」、「桜の立場」(中丸の立場)と記述、右端に「一里塚 江戸から十七里 京から百三里」と国府本郷の一里塚が描かれています。
[人間の暮らしに欠かせないものの一つに塩があります。二宮は海に面した村のため、古くから海水による塩の精製が盛んでした。二宮町内の地名に塩海(しぼみ)があります。『新編武蔵風土記稿』によると「古この海浜にて鹽を精製す、依ってこの名あり」と記されています。 (「二宮のにぎわい/二宮町ホームページ」より)]
[中丸(国府本郷村中丸)の地は、大磯宿より一里(約4km)離れたところで「立場」と称し、荷馬の休息所であった。 (「大磯宿3 – 関東地方整備局」より)]
元図「コマ番号 2/15」リンク
絵地図初期設定画面左端に「是より西 小田原領」、「是より東 御鷹場」と記述、その間に中村川が描かれ、その絵地図中央に「一里塚 江戸から十八里 京から百二里」と押切坂一里塚が描かれ、その上に「薬師(茶屋薬師堂)」、その右に「梅沢(中郡二宮町山西・川匂)」、「真言宗 めうこく寺」と記述され、絵地図を右にスクロールすると「志ぼミ(塩海(しぼみ))」と記述されています。
[「梅沢」という地名は寛永17年(1640年)に分かれるまで、現在の山西・川匂・道場(現小田原市内)を含んだ地域を指していました。「梅沢御本陣(松屋本陣跡)」はそのうちの山西茶屋にあった大名・公家・幕府役人などの公式休憩所です。参勤交代時の往復に使われるのが一般的ですが、17世紀中頃には旅人に酒肴を供しており、江戸時代後期の寺社参り流行にともない、庶民が泊まるようになりました。 (「二宮のにぎわい/二宮町ホームページ」より)]