東海道絵図(宮宿)

宮宿(みやしゅく、みやじゅく、宮の宿、熱田宿)は、東海道五十三次の41番目の宿場である。中山道垂井宿にいたる脇街道美濃路(美濃街道)や佐屋街道との分岐点でもあった。一般には宮の宿と呼ばれることが多かったが、幕府尾張藩の公文書では熱田宿と書かれている。
場所は現在の愛知県名古屋市熱田区にあたる。東海道でも最大の宿場であり、1843年(天保14年)には本陣:2軒、脇本陣:1軒、旅籠屋:248軒を擁し、家数:2924軒、人口:10,342人を数えたという。古くからの熱田神宮門前町、港町でもあり、尾張藩により名古屋城下、岐阜と並び町奉行の管轄地とされた。
桑名宿とは東海道唯一の海路である七里の渡しで結ばれていた。現在も、折りにふれて宮~桑名間を遊覧船で渡る現代版「七里の渡し」が行われる。
江戸時代中期以降は四日市宿へ直接渡る航路(十里の渡し)もよく利用された。  (wikipedia・宮宿より)

東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第八 赤坂ヨリ宮マデ」よりダウンロードして利用しています。

元図「コマ番号 8/23」リンク

絵地図初期画面下に「桑名へ 舟渡し七里」と記述され、その上に「番所」、「宮札辻」、「江戸から八十四里余 京から三十六里ノ内」と記述、その上方向鍵の手に「名古屋道 佐屋街道 宮 札辻」、その右に「くわんおん」、下に「源大夫宮(移転・上知我麻神社)」と記述、その右上に「あつた大明神(熱田神宮)」、その下に「ほうわん寺」、右方向に「じふく寺」、「かうがく寺(正覚寺)」、「れいの宮(熱田神宮末社 鈴之御前社)」と記述され、その右に裁断橋が描かれ、「一里塚 江戸から八十四里 京から三十六里」と伝馬町一里塚が表示され、絵地図をスクロールすると「石ノ地蔵」、「石佛」、右端に「いとだ(井戸田)」の家並が描かれています。また、七里の渡し場右の「御茶屋」は惣石垣造りの海上御殿である東浜御殿です。
熱田東浜御殿・西浜御殿の成立と終焉及び構造の分析

七里の渡しの航路図

東海道絵図(鳴海宿)    東海道絵図(桑名宿)