東海道絵図(岡崎宿)

岡崎宿(おかざきしゅく、おかざきじゅく)は、東海道五十三次の38番目の宿場である。現在の愛知県岡崎市中心部。
石高は五万石しかなくとも徳川幕府の下では神君生誕の三河国岡崎城(築城は三河西郷氏の西郷稠頼)の城下町を背景に宿場町の規模も駿河国府中宿静岡県静岡市葵区)に次いで大きかった。  (wikipedia・岡崎宿より)

東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第八 赤坂ヨリ宮マデ」よりダウンロードして利用しています。

元図「コマ番号 8/10」リンク

絵図初期表示の家並は岡崎宿です。絵地図を右スクロールすると中程に「是から西 岡崎領」(更紗川)と記述、右端手前に「一里塚 江戸から七十六里 京から四十四里」と大平一里塚が表示され、その右に「せんこう寺(専光寺)と記述されています。

元図「コマ番号 8/11」リンク

絵地図初期表示の中央に「やはぎ乃はし(矢作橋)」と記述され、その左に「一里塚 江戸から七十七里 京から四十三里」と矢作一里塚が表示され、矢作一里塚の下に「長れん寺」、左側下に「かうめう寺(光明寺)」、左上に「やはぎ(岡崎市矢作町)」と記述されています。右端に「松葉川 番所(松葉総門)」と記述され、絵地図を右スクロールすると岡崎城下二十七曲りに沿い岡崎城、岡崎宿が描かれ、城上に「大りん寺(大林寺)」参道口二か所、「十王堂(十王寺)」、「長をう寺」、「天台宗 極楽寺(現在地-岡崎市中町北野東21に天正3年(1575年)6月に移転)」、「番所(籠田総門)」、「せいぐわん寺(誓願寺)」、絵地図接続部端に「岡崎 札辻」、右接続地図下に「すいねん寺(隨念寺)」と記述されています。

元図「コマ番号 8/12」リンク

絵地図初期設定画面左に「うとふ(岡崎市宇頭北町)」と記述され、その右に「薬師(薬王寺)」、その右に鹿乗川筋が描かれています。絵地図を右スクロールすると、中程に「くれと(岡崎市暮戸町)、その先に「西やはぎ」「やはぎ」(岡崎市矢作町)、その間に「十王堂」、「上るり御堂(誓願寺)」と記述、絵地図右下に「かうめう寺(光明寺)」と記述されています。
[1878年(明治11年)12月28日 – 東矢作村と西矢作村が合併し、矢作村となる。  (wikipedia・矢作町_(岡崎市)より)]

元図「コマ番号 8/13」リンク

絵地図初期設定画面上に「大はま(安城市浜屋町)」と記述され、下に「是から 東岡崎領 西𫟌(苅)屋領」と記述されています。この場所は大浜街道追分と思われます。地図を右スクロールすると、中程に「一里塚 江戸から七十八里 京から四十二里」と尾崎一里塚が表示され、右方向に「をざき(安城市尾崎町)」、「ちようあい(岡崎市宇頭町長合)」と記述され、そこの右下に追分が描かれ「なこや(名古屋)へノ道」(宇頭町交差点付近)と記述され、その右に「うとふ(岡崎市宇頭北町)」、「薬師(薬王寺)」と記述されています。
[大浜街道は、江戸時代に碧南から足助に向かって塩の俵を積んだ馬が通った道(塩の道)といわれています。東海道と交差する現在の浜屋町と宇頭茶屋町の境には、いくつかの茶店があり、「大浜茶屋」と呼ばれました。  (「歴史の散歩道 – 安城市」より)]

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