東海道絵図(川崎宿)

東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「巻第一 江戸ヨリ戸塚マデ [19]」からダウンロードして利用しています。

元図「コマ番号 1/10」リンク

絵地図初期設定画面中央下に「八幡」、「きゅあん寺(教安寺)」と記述、その右の家並角の橋は小土呂橋になり、その左下に「せんにゅ寺」、右下に「禅宗 大とく寺(大徳寺)」、右上に「天台宗 くわんぎょう寺(観行院)」、その下に「ようかう寺(養光寺) 薬師」、右端に「日蓮宗 妙えん寺(妙遠寺・昭和二十七年、区画整理により、宮前町の現在地に移転)」、絵地図を右にスクロールすると「川崎 札辻」、その右に「禅宗 そうさん寺(宗三寺)」、「浄土宗 いちぎやう寺(一行寺)」、「禅宗 志んふく寺(真福寺)」、「一向宗 とくせん寺(徳泉寺)」と記述され、接合絵地図右に「六江のはし」が描かれています。
[慶長5年徳川家康は、六郷川に六郷大橋を架けられ、以来修復やかけ直しが行われました。元禄元年7月の大洪水で六郷大橋は流され、幕府は架橋をやめ、明治に至るまで船渡しとなりました。当初渡船は、江戸の町人が請け負っていましたが、宝永6年3月川崎宿が請け負うことになり、それによる渡船収入が宿の財政を大きく支えました。現在では、川崎側に渡船跡の碑と、明治天皇六郷渡御碑が建ち、欄干に渡船のモニュメントがあります。  (「六郷の渡し跡(ろくごうのわたしあと) – 川崎市」より)]

元図「コマ番号 1/11」リンク

絵地図初期設定画面に「津るみ(鶴見・横浜市鶴見区鶴見中央)」、その右に「天台宗 天のう院(天王院・明治四十四年三月三十一日、汽車の煤煙のために火災を起し、堂宇を燒失し大正元年八月、鶴見区寺谷1-2-1に移転。)と記述され、右に「つるみばし(鶴見橋)」が描かれています。絵地図を右にスクロールすると「天台宗 ほんかう寺(金剛寺)」、その右に「一里塚 江戸から五里 京から百十五里」と市場村一里が描かれ、その右に「市場(横浜市鶴見区市場上町)」と記述され、市場の家並右に「めおと橋(夫婦橋)」が描かれています、そこが川崎宿と市場の境界で、現在の川崎市横浜市の境界になります。

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