東海道絵図(庄野宿)

慶長6年(1601)に東海道伝馬制度が設定されたが、四日市から亀山までの21.5kmには宿場がなかった。交通量の増加につれて宿場の必要性が生まれ、元和2年(1616)に付近の人を集めて石薬師宿をつくり、さらに数年遅れて庄野宿を開いた。
庄野宿の成立は寛永元年(1624)で、早くからこの地に居た36戸の他に鈴鹿川東岸の古庄野から34戸が移住して宿場が形成された。延享3年(1746)の庄野宿明細帳では、家数179・人数730。文政3年(1820)の家数171・人数850。本陣脇本陣のほか旅籠屋24軒があった。天保9年(1838)には家数210・人数843、旅籠16。明治3年の戸籍帳には家数202のうち農業111・煮売り茶屋10・旅籠10とあり、農家が多く宿関係の旅籠が少なかった。石薬師宿も同様で、参宮客は上方からは関宿より、関東からは四日市から伊勢参宮道を行き、荷物も少なく、宿場・伝馬機能の維持が困難な宿場であった。  (「鈴鹿市庄野町の町並み」より)]

東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第九 桑名ヨリ土山マデ」よりダウンロードして利用しています。

元図「コマ番号 9/14」リンク

絵地図左下に「やくわういん 薬師」、「志んふく寺(真福寺)」と記述され、「くみがわら(鈴鹿市汲河原町)」の家並が描かれています。絵地図を右にスクロールすると庄野宿が描かれ、中央に「庄野 札辻」と記述され、右端に「た〃ミや」と記述されています。

    東海道絵図(石薬師宿)    東海道絵図(亀山宿)